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17/09/16 『広告界』一巻の終わりの1941年分12冊揃い と 謎残るばかりの恩地孝四郎関係

 ■早いものでまた1週間が経ち、土曜日未明の更新です。
先ずは久しく入荷のチャンスのなかった『広告界』、昭和16(1941)年発行の1月号から12月号まで、巻号で云えば第18巻の1号から12号までの1年分・12冊がまとまっての入荷です。
しかも12号は1926年から発行されていたと云われる『広告界』の終刊号。『広告界』で1年分揃うのは珍しく、しかも状態も1冊を除き申し分なく、加えて市場でご教示いただいたお話しによると1941年頃は商工省工芸指導所に居た畑正夫の旧蔵品だとのこと。こうなると簡単にバラすには忍びなく、当面は一括で販売する構えであります。
1941年と云えば近衛内閣に替わって東条英機を内閣総理大臣とする東条内閣が成立、12月8日の真珠湾攻撃により、太平洋戦争が開戦した年として知られますが、雑誌の統合改廃が強力に進められた年でもあって、例えば80誌あった婦人雑誌は17誌に、美術雑誌39誌は8誌へなどなど、急速に規模を縮小しています。副題とはいえ「国家宣伝・生産美術誌」と世情を忖度したかの看板を掲げていた『広告界』も難を避けることはできなかったというわけです。
内容を見ていくと、グラビアページはまだホワイトのアート紙を使っているし、1冊あたりのグラビアページ数も多く、独伊他海外の情報も豊富で、まだまだ余裕がありそうにも見えるのですが。
グラビアページでは、金丸重峰の連載「戦争と写真宣伝」ナチスドイツを取り上げた「政治は演出を要求する」、「ファシスト・イタリアの展示技術」、「支那抗日パンフレット」、「独逸の工場美化運動」、「レンズの総統ハインリッヒ・ホフマン」「ムネ・サトミ 帰朝第一回展」、「仏印へ! 我が現代文化を示す移動写真壁画展」、「航空美術展ポスター作品」、「戦争は新しい表現を生む」、内閣情報部後援「新東亜建設国家総力戦ポスター展」、その他「宣伝文化協会」結成に関する座談会、原弘の寄稿「寡色と多色の表現」、海外動向紹介記事「防空・工業都市の設計に産業美術家も参加しなければならぬ」などなどなどなど全篇これ世情に忖度したプロパガンダ。なのになぜ廃刊!?だと編集者も出版社も思ったに違いなかろうと少々気の毒にもなりますが、権力に阿ったところでいらなくなったら簡単に捨てるのが権力であるということは、見たところ(カゴイケなど?)いまもって不変の真理なのだと思う次第です。
ただし。このプロパガンダ満開のグラビアページはどれもなかなかカッコイイというのもまた事実。当時を代表するよく出来た雑誌であることには違いありません。
もう1点。いつも多くの理解とヒントをもたらしてくれるwikiさんによれば - 感謝を込めて、本日少額ながら寄付しました- 「終刊は1941年12月(18巻12号)とされているが、『雑誌年鑑(昭和17年版)』によると、1941年10月で廃刊されたことになっているそうで、ここにも混乱が見られる。」とのことですが、今回12冊が現れましたので、『雑誌年鑑』のくだりは間違い。どなたかwikiへの加筆をどうかよろしくお願いいたします。

 うう。どうなんだろ~。分からないし~。ど~しよお~。とくれば、ご紹介を他日に伸ばすべきなのです。なのですがしかし。おそらく調べている間もなくもうすぐ松屋銀座「銀座 古書の市」の目録行きになるんだろうな、ならば一度HPでもご紹介しとこかな。ということでまだまだ謎ばかりの2種3点。平たく云えば恩地孝四郎関係資料です。
2点目の画像下段、横に長く広げて置いたのが昭和4(1929)年、日本橋丸善で開催された『第2回 卓上社展 出品目録』。実はこれ、横に二つ折りしてあるのでページ数は8P、裏白・片面印刷で、表紙にあたる部分は木版画の直刷。画像上段右の葉書も「第二回卓上社展覧会 ご案内」のDMで、こちらも木版画に見えなくもない。とは云え一番のモンダイは『目録』の版画の作者は誰か? ということでありましょう。
「卓上社」は恩地が川上澄生、藤森静雄、深沢策一、諏訪兼紀ら7人と結成した版画家のグループ。1928年の結成で、すぐに第一回展を開催しています。
昨年、国立近代美術館で開催された恩地孝四郎展の図録を見ると、「第一回展」については「目録」を典拠として展覧会の出品作が記載されているにのに対し、「第二回展」の典拠は『版画CLUB』。「ALC」で検索しても出てこないところを見ると、表紙が恩地かどうかはさておき、珍しい資料として扱うには十分そうです。
もう1点、画像上段左側は昭和16(1941)年発行の『日本版画協会パンフレット 版画の鑑賞』という小冊子です。開いたページに置かれているのは恩地孝四郎の木版画で、前川、平塚他の木版が全部で4点、さらに、ブブノワの石版1点が巻頭を飾っています。ではではと、再び恩地孝四郎展の図録を参照すると、恩地が前川、平塚とともに執筆した冊子で、典拠は「同書」となっているものの「5章構成だが個々の署名はない」と書かれています。
なるほどはてさて。いま手元にあるものを見ると、テキストの扉のページにある5章のタイトルの下に、何と、ペン書きで執筆者名が書かれているではありませんか。万年筆のインクの色も古びていて、真実味を感じます。ですが、仕入れヒト、つまりワタクシのひいき目というのもありますし、何とか証拠立てる論拠もいまのところ見当たりません。こちらもまた、半端な話しになりますが、恩地らの木版画メインの値付けとなりそうです。

■その他の新着品のご案内は後日として(まだまだあって追いつかず…)大切なご案内。
来週19日は市場の関係で営業は夕方からとさせていただきます。本日16日(土)、来週21日(木)、23日(土)は通常営業いたします。
さらに進んでその翌週ですが、9月24日(日)~10月6日(金)まで、店、通販等休業させていただきます。悪しからず、ご承知おきのほどお願い申し上げます。あ。南まわりでイタリアへ。超貧乏旅行。の予定であります。

 

17/09/09 画像はあれども ろくな解説もつけないままで … 更新は来週までお待ちください!

 ■瞬く間に一週間が過ぎ、今週も新着品のご案内 …… といきたいところなのですが、店主少々くたびれてきておりまして、新着品の更新は1回お休みを頂戴いたします。
とは云えさすがにそれだけでは寂しい。
なので新着品のなかから1点だけ。画像にとったのは、一見、千代紙のように見える『版画 大東亜図集』です。
「東京 三宅松影堂」が発行したもので、太平洋戦争による南方進出で日本が制圧した諸国とその他の植民地および日本の伝統的文様を、木版刷・未綴じの状態で頒布したものとみられます。
中華民国裂地紋様、安南裂地紋様、ビルマ裂地紋様、マライ建物装飾紋様、マライ編物容器紋様、ジャワ布地紋様など12葉。タトウやポートフォリオなどはなく、木版画のみの落札のため、詳細は不明ですが、1942~1943年頃のものではないかと当たりをつけました。

来週は、戦後日本のバレエ関係資料、伊東忠太の『阿修羅帖』全5牧揃、木版刷の和本『華包』や少々珍しい児童文学関係の雑誌など、明日店に到着する新着品について改めてご案内いたします。次回更新予定の土曜日未明まで、お時間をいただけますよう何卒よろしくお願いいたします!

■そしてそして、ご存知 ハチマクラさんの「夏の紙祭り」が今年もやってくる! の詳細は是非、当HP左手柱にある「その他のご案内」をご覧下さい!

 

 

17/09/02 都市という空間で -「生きた広告博覧会」と「都市美強調週間」と

■暑かったかと思えば急激に涼しくなったり、売れるゾと思ったものが売れずにこれは難しいかなと思ったものが売れたりしながら一週間は瞬く間に過ぎ、今週もまた新着品のご案内です。
函と表紙の平、そして本文巻頭に日本初・東洋初のロボット「学天則」の写真が象徴的に置かれているのは『生きた広告博美術写真展』と題された博覧会の図録兼啓蒙的かつ実用的な書物。
巻頭言によれば、1931年=昭和6年、東京日日新聞と大阪毎日新聞の主催により、上野松坂屋で開催され、「入場者数実に百二十万人」にのぼったと云う「生きた広告博覧会」を記録したもので、しかし、単に記録に留まらず、広告に関心を寄せる人たちの参考になるよう、参考篇を附したと云います。
「生きた広告」と題し、学天則をキャラクター的使っているのを見ると、生きた=機械仕掛けのオブジェやネオン- いまならゆるキャラ? -といったものかと思えばさにあらず。ウィンドーディスプレイや店頭装飾、ネオンサインやポスターなど、開かれた空間における生きた=効果的な広告の実例を、花王石鹸や明治製菓、味の素、大日本麦酒、カルピス、凸版印刷、小西六他、有名一流企業に立案・設営・展示させた本格的な博覧会だったようで、それぞれ自社内の広告セクションや、「ニッケ」の奥山儀八郎などの著名デザイナーによるものです。
書籍のノドや小口ぎりぎりの位置にとにかく小さな活字で組まれたテキスト、余白をたっぷりとった図版の配置など、この本に似た洋書があったと思うのだけれど、何だったかなと思いながらページを繰っていたところ、巻末の附録「ショーウィンドの知識」の出典クレジットに答えを発見しました。フレデリック・キースラーの著書『Contenporary art applied to the store』! 
このタイトルと著者名「Frederick Kiesler」を検索窓にコピペして画像検索するとすぐに出てきてお分かりいただけるかと思いますが、なかなかカッコいい本です。キースラーは建築家で、山口勝弘が『環境芸術家キースラー』を著したりしているのですが、日本では有名になり損ねている気がします。
表参道に移転してきた当時なので2002~2003年頃だったか、一度この『Contamporary~』を市場で仕入れたことがあり、記憶の限りではありますが、『生きた~』の巻末に添えられた「参考篇」のテキストと図版は、ほぼ『Contemporary~』からそのまま引用されているように思われます。
『Contenporary~』は落札した時は、内容もデザインも優れた本に大喜びしたと云うのに、売るのには苦労したし、以来15年、少なくとも私はまだ他に見たことがなかったので、日本では発行当時からしてほとんど関心を向けられていなかったのではないかと思っていたのですが、この博覧会が、おそらくはそのコンセプトから当書に依拠している印象が強く、やはり一定の影響をもたらしていたのではないかと考え直した次第です。こむずかしいお話しはさておき、諧調美しい「学天則」の写真だけでも貴重な1冊。
 

『生きた広告博美術写真展』もそうでしたが、こちらも初見でした。都市美協会が発行する機関誌『都市美』。落手したのは昭和11年10月発行の17号で、「都市美化強調週間号」と何やらものものしい副題のついた号です。
早速ぐぐってみました。都市美研究会は、関東大震災後の 1925(大正 14)年 10 月、「復興帝都における美観統制並に整斉ある都市構築の研究」を目的として設立された都市美研究会が翌年に改称、阪谷芳郎(第 4 代東京市長)を初代会長に会員は300名を数え、『都市美』の発行や講演会などを開催していたと云います。
研究会発足当時の「研究題目には丸ビル撤廃論、品川台場利用論等が見られる。」(https://www.timr.or.jp/library/docs/kuranonaka/lib016.pdf)とあり、創立当初はラジカルな側面を持っていたのではと期待させられるのですが、36年頃には「紀元2600年に備えよ」by内務大臣 だとか「帝都の都市美観を護れ」by警視総監とか、すっかり体制側の組み入れられた様子が伺えます。
図版は「都市美強調週間」の活動の一環として行われた「都市美並都市醜写真検証募集」の入選作品。審査員は板垣鷹穂と木村伊兵衛を含む6名。「美」だけでなく、あえて(?)「醜」の部分まで対象とした点がユニークです。当誌の掲載の他、銀座三越で展覧会が開催されたようで、本気ぶりがうかがえます。
「都市美強調週間」では、この他、街路や公園、河川の清掃や小学校での訓話などが行われたようで、詳細をという方はこの1冊を是非。と云って売れるようなら古本屋、労苦はぐっと軽くなるのですがさて。
 
■それにしても もう9月です。来週には次回、つまり来年1月開催の、「銀座 古書の市」についての松屋銀座さんとの打ち合わせが始まります。11月半ばにはやってくるはずの目録原稿入稿に向けて、小店もそろそろ掲載商品の目星を付けていくことになります。来年の準備です。この1年もまた、手をつけられない速さで過ぎていくことになりそうです。あ。昨年11月以降に入荷したもので、気になるものがあるという方はお早目にお声をおかけ下さい。
 

 

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