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学校用品店

会期:2006年3月31日(金)~4月12日(水) 
会場:渋谷PARCO・ロゴスギャラリー [解体シリーズ]


「学校用品店」は、期間限定で臨時に開店した店。「展」ではなく「お店」。
学校生活のなかにあった色々なものを、販売するためにオープンしたものです。
でも、いまはもうどこにもありません。
そしておそらく、これからも、姿を見せることのない店です。

販売したのは、「学校用品」という会社の倉庫のなかから出てきた、たとえばこんなものでした。
いまは金型が失われて造ることのできなくなった「人体模型」。そこに閉じ込められた時間の不思議を想う「鉱物標本」。いまとなっては贅沢な木製・革ヒモつきの「昆虫採集箱」。「顕微鏡」はレアなソ連製。日常生活では使うことはないけれど何故だか惹かれる「上皿天秤」。「磁石」には、砂鉄を集めることさえ楽しかった、こどもの頃を思い出したものです。
大きな人体模型は3台、小さな人体模型1台が、ひきとられていきました。
品物には、予め値段を付けて搬入したのですが、リストの価格が消費税抜きであることが判り、会期初日前二日間は「学校用品店」店員一同で深更まで値札の貼り替えと陳列に汗したのも、いま思えば学園祭のようでもありました。
現行の教材からも、デザイン的に優れたものは受注販売といたしました。
開くと青く塗られた断面が現れる算数用の立体模型(上)。
体積の概念を説明するのに使われる教材など各種(下)。
その日の気分で姿を変えて飾ったり、考えごとをするときの手遊びにもよさそうです。しかも教材だけに、どれも「つくり」がしっかりしています。
ビーカーや試験管、アルコールランプなどは、すぐに品切れになりそうになり、開店中は追加仕入れに追われました。たくさんとりすぎると今度は返品ができなくなるので最初はおそるおそる、しかし、だんだん大胆に。
アルコールランプもそうした一つでしたので、「芯だけ欲しいんダヨ」といわれても残りの方はどうにもならなくなり…というわけで、ご勘弁いただくしかなく、すみませんでした。何分にも、デッドストックをできるだけ生かそうという店でしたもので…。


同じく現行の教材から(受注販売品の一部)。
時計の見方・時間の概念を教えるための教材(上)。
やはり立体の体積を説明するための教材(下)。
ポップだったりソリッドだったり。余分なもののない教材のデザインは、「勉強」を離れてみるとなかなかのものだと思います。
ご注文くださいましたみなさま、品物がお手元に着くまで、いましばらくお待ちくださいませ。
ちなみに。会期初日の午前中に売り切れたのは4台あった携帯型の木琴、2台しかご用意できなかった謄写版。会期中を通じてよく売れたのは、誰にとってもなつかしい試験管とビーカーでした。
この店では、学校用品を「学校生活のなかにあったもの」ととらえて、少し視点を広げて集めた商品も並べていました。
というのも、かつて、商店街からはずれていても、学校の門前には必ずあった文房具屋さんが、どんどん減っているように思えたからです。
紙に行儀よく並んだ詰襟のボタンと学年・クラスを示す襟章。
無骨だけれどユーモラスな鉛筆削りやインク瓶。ほとんどが、そんなお店で見つけてきたものでした。なかには、そのお店の人が使っていたもの、なんていうのもありましたけれど。


「これ、いつ頃のものですか?」
「ほほぅ、これねえ。…(沈黙)…何しろもう50年もやってますからなぁ」
一軒一軒訪ねて行っては、いまはおじいちゃん、おばあちゃんとなったお店のご主人に、そんな話を糸口にしてその店の歴史をおうかがいしたのもいい思い出です。いまにも潰れそうな店だったりするので、今度来たときにもまだあるのかどうか心もとなく。そうすると、店仕舞いの時には簡単に捨てられちゃうんだろうな。いや。それはまずい、惜しい。と。そんな妄想癖からついつい余計なものまで買ってしまったりして。結果、収拾のつかなくなったきらいはありました。すみません。
中学校に上がる時に買ってもらった思い出のある、万年筆とインク。
腕時計と万年筆。中学の進学祝いはどちらを選ぶか悩んだものです。
ガリ版で刷ったプリントを切るのに先生が使っていた断裁器は、そういえば木製でした。コピー機もワープロは勿論ない。ばかりか、ストーブはコークスをたくダルマストーブだったし、給食では脱脂粉乳を飲まされたし。もはやそんな体験をもつ私自身が前世紀の遺物か。
水彩道具を入れる専用のバッグ。
「たいへんよくできました」のスタンプ。
いまはなきメーカーの鉛筆。


鉛筆と一緒に、筆箱に必ずしまわれていたボンナイフ。
しかしこれもミッキーナイフとボンナイフをきちんと区別すべきだったようで、不明を恥じます。こんな仕事は本来やはり、文房具に大変お詳しい方の助言をいただくべきだったと反省しております。
でも、できれば、そういう方が、街の中で忘れ去られたような文房具屋さんを探して回ってそこではちゃんと買って行き届いたお店で販売までしてくだされば、こんなにいいことはないと思います。どなたか、そんなお店をやってくださいませんか?少なくとも私は、常連客になります。
こどもには重たかった(だから掃除当番は嫌いだった)木製の児童用机。
勉強机の上、教科書の定位置だった本立て。
鼓笛隊でカッコイイ楽器のひとつだった鉄琴…
私は縦笛で、子供心にオモシロクないのでした。
そのせいか、鉄琴が売れたときにはとても嬉しく思いました。
コピーとワープロのない時代、学校を支えていた簡易複製技術「謄写版」。
先生が板書に使っていた大きな定規。
大三角定規と大コンパスは、新品の受注販売もし、ご注文をいただくこともできました。
謄写版はお問い合わせひきもきらず、しかし対応できず、で、これもまたご迷惑をおかけいたしました。ネット検索含めた探し方について、可能性のある方法をお知らせするので精一杯でした。どうかお赦しください。
図案をなぞったりするのに使われたらしい骨筆。
戦後のまだ物資の乏しい時代に製造されたと思しき「萬古」の万年筆。
古い古いコンパスに、古い古いペン先。
ほとんどが、いまや絶滅寸前の希少種ではないでしょうか。
忘れていた何かを思い出す。
あの頃の自分やかつての時代を思い返す。
古いものに新しさを見出す。
固定概念にとらわれず、新たな用途や価値を自分で見つける。
例えば古い木製の絵入りカルタを箸置きに。試験管には花を挿す。ビーカーとアルコールランプでゆっくりコーヒーを煎れる。なかには「技術・家庭」の教科書の序文に「私の人生に必要なことすべて」を見出しとおっしゃるお客様もいらして。
そんな方たちに励まされての営業でした。
いまはもう、どこにもない店ですが、ここで見つけた品物を通して、気まぐれに現れた店のことを、一瞬でも思い出していただくことができたら、望外の幸せだと思います。本当に、有難うございました。