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東京・山の手・昭和三代 ムラカミ家のモノに見る昭和史

会期:2004年4月8日(木)~4月26日(月) 
会場:渋谷PARCO・ロゴスギャラリー [解体シリーズ]

物語をモノ語ろう

本を取りに行って、火鉢を抱えて帰ってきました。ポケットには小さな香炉がひとつ。
これは一体どうしたことでしょう。
わけの分からぬ本と紙の堆積した住まいに火鉢と香炉を置いて、つくづく眺めてみました。
雑然たる住まいのそこだけが、何だかどても上等に見えてきます。
もったいない。
宝の持ち腐れ。
だって、上等な品物なんですから、当然です。

そういえば、数竿分の桐ダンスには、着物がたくさん納まっていたのです。
「これはどうなさるのですか」
「もう着るものがおりません。どうしましょう」
部屋の片隅に転がっていたオープンリール、話を聞けばこれが8ミリフィルムの再生機。モニター一体型の珍しいモデルで、まだ使えるというのです。
「これはどうなさるのですか」
「もう使うことなどないのです。どうしましょう」
納戸にはまだまだたくさんいろいろなものがあるといい、
「それは一体どうなさるのですか」
「もう私たちには必要がないのです。いっそ、捨ててしまいましょうか」
こんなふうにして繰り返されたやり取りが、思い出されてくるのです。

さて、これは一体どうしましょう。

古本屋なんてものをやっておりますと、ときどき、「物語のカケラ」を扱っているのだと思うことがあります。

本の見返しに書き込まれた見知らぬ名前や遙か昔の読了の日付、活字の横に記された傍線、余白に綴られた心象風景。開くたびに同じ頁にあたるのは、励ましか共感かいずれにしろ、元の持ち主がことある毎にそこを開いていたからに違いないと想像します。
想像とはいえ、そこには確かに、ある人のある時代のある気持ちやある思いの、痕跡が記されて、いま、ここにあります。
しかしそれは、ある人や、場合によってはある家や時代の、総体からすればホントにわずかな一部分、それもごくちっぽけなカケラに触れているに過ぎません。

火鉢を眺めながら考えました。

何も本だけではないのです。
時間を経、人の手を経てきたモノにはすべて、物語が宿っているのではないだろうかと。
いや、むしろ、本だけでは物語など語りようもないのではないかと。
そしていま、他ならぬこの東京で、こんなことに出会える確率は、そても低いのだとも。

二〇〇三年十一月下旬、火鉢を抱えて帰った小春日和の日。
私たちはひとつの仕事の可能性に出会いました。
そして二〇〇四年春。
昭和から始まる七十年間、暮らし継がれてきたある家の、家族三代の物語を、モノを通して語ってみようと思うのです。
昭和という、時代の缶詰を開けるようにして。
さてそこには、どんな風景が見えてくるのでしょう。

日月堂+ロゴスギャラリー

   
右:「Cannon FTQL」一眼レフに代わるコンパクトカメラのはしり。
左:16ミリフィルム使用「ミノルタ16MG-S」スパイものが流行った時代のタイプ。ムラカミ一家を写したカメラが、それ自体時代を映しています。

  これは珍しいモニター一体型の8ミリ映写機、キャノン社製「CANOVISION8」。昭和44年、孫のユミさんの成長を記録しようとテツオさんが購入したもので、実はいまでも使えるそうです。   民芸調のこの家具、実はテレビを置くための台。天板が回転してテレビの向きを簡単に変えられるという仕掛け。一家に一台、お茶の間のテレビが団欒の主役だった時代がありました。
   
真綿に包まれて大切に保管されていた帯は贅をこらいた総刺繍、縁起の良い鶴と亀の図案があしらわれた高級品。花嫁衣装用に用意されたものでしょうか。いまは想像することしかできません。

  ヒロコさんの戦前のキモノから。
右:絹地の細かい縞模様、その色目に合わせた紫色のすそよけがとってもお洒落な一着。
中:黒字にモスグリーンのグラデーションがモダンな銘仙のキモノ。
左:道行のコート。昔の生地ながら、短い丈の今様仕立て。

  お嫁入り道具の桐ダンスはキモノを収めた大きな三竿に、この小さな一竿がありました。引き出しをあけると古い帯締めや帯揚げ、風呂敷などがいっぱい詰まっていました。
   
手書き、染付けの香炉は、カツヒロさんの幼い頃から家にあったといいます。この香炉とともに塗りの硯箱と折帖、鉄製の水滴が和室に据えられた文机の上にあって、テツオさんの代の頃の佇まいを残していました。

  黒字に手まりや折鶴の模様を手刺繍であしたっら昭和初期の帯。金糸もふんだんに使われていて、とても贅沢な品物です。   ヒロコさんがお嫁入りの時にたずさえてきたお振袖。波と花の大胆な柄と色遣いで部分的に手刺繍が施されています。結婚式など正式な席に着用する格式の高いものです。
   
果汁絞りのための道具。そのためだけにしては随分と大仰な物体ですが、道具のスタイルとしてはなかなか魅力的、オブジェのような面白ささえ感じさせます。   少し前まで、麦茶は水から沸かしてヤカンごと冷蔵庫で冷やしたものです。このヤカンは冷蔵庫にしまいやすい省スペース型、取っ手も倒れるように出来ているなかなかの優れモノ。昭和30年代頃のものでしょうか。

  衣装など収めた行李(こうり)が屋根裏や蔵に置かれている風景も、もはや昔話。柳で編み、竹で線をかがり、角に麻布をあしらった行李は、手仕事の美しさと用の美とを伝えてくれます。
   
『満洲事変大画譜』『支那事変写真帖』『ハルピン観光記念写真帖』『旅順観光記念写真帖』、そして昭和20年10月1日付の『文藝春秋』。戦争の痕跡もまた、ムラカミさん家には残されていました。

  ヒロコさんのお嫁入りの道具には帯もたくさん。
右:金と銀との市松模様は踊り用。
中:繻子の生地に椿と梅の柄を手刺繍。おそらくヒロコさんが「十三参り」のときに身に着けた思い出の品。
左:鮮やかな赤の絞りは普段着か、ちょっとしたお出かけ用。

  日本のMeito社製ハンドペイントの食器。ヒロコさんの親戚夫妻が1936年頃N.Y.で購入した初めてのディナーセットを10年くらい前に譲り受けました。数が揃ってないのは、それだけの時間の経過を示すものでしょう。
   
ユミさんが留学している間にヒロコさんが入手したものだそうで、ヒロコさん亡きいま、その来歴も製造等も全く不明。人を失うということは、つまりそうしたことまで失うことに違いないのです。   ヒロコさんの雛人形は空襲で焼けてしまいましたg、後に親しい方から譲っていただきました。習字の練習に使った反故紙に包まれ、詰め物の新聞は昭和9年の日付。タイムカプセルから姿を現したお雛様たちです。   漆塗りに金銀で鳳凰が描かれた文箱は大正時代か、おそらくはそれ以前のもの。傷ひとつない完璧な状態で布貼りの箱のなかから出てきた、ヒロコさんの宝物のひとつでした。