会期:2006年9月29日(金)~10月16日(月)
会場:渋谷PARCO・ロゴスギャラリー[解体シリーズ]
話は2004年まで遡ります。この年の春、古本屋の仕事を通じて出会ったあるご家族の三代にわたる歴史を、リフォームを契機に整理されることになった厖大な品々の展示販売を通じて“モノ語ろう”という趣旨で開催した「東京・山の手・昭和三代――ムラカミ家のモノに見る昭和史」を、バルコ・ロゴスギャラリーと古本屋・日月堂との初の共同企画として開催しました。この企画に寄せられた反響が、思いがけず、その後の「ロゴスギャラリー+日月堂 共同企画」の方向性を決めることになるとは、その時には考えてもいませんでした。
同じ年の秋、同じくロゴスギャラリーと日月堂の共同企画として、第一回目となる「印刷解体」展を開催。パソコンの普及、デジタル化の進展等により、過去の厖大な情報と文化を支えてきながら、もはや解体状況にあり、光をあてられることもなく捨て去られようとしていた旧来の印刷技術とそれにまつわるモノたち。かつての印刷が解体状況にあるなら、印刷を構成していた要素を解体して販売してみようではないか、という趣旨での企画でした。とくに活版印刷は、いまでこそ、ちょっとしたブームの感がありますが、企画スタート当時は何の成算もなく、大仕掛けを要するだけに大失敗に終わるのではないかと、初日の幕が開くまで不安しかなかったことを思い出します。この企画もまた、うれしい誤算により、多くの方のご支持とご教示とを受け、2005年、2006年と三年続けて開催することになりました。
2005年には、「学校用品店」を開催。これもまた、かつての「学校生活」が様変わりしつつあるなか、むかし教室にあった、或いはカバンのなかに仕舞われていた、なつかしい品々を展示し販売したものです。この企画では、通常は専ら学校相手の商売で、一般に向けての販売はしていない専門会社の、いまは売れなくなってしまった教材が眠る倉庫に入ったのがきっかでした。
共同企画としてこれらを手掛けてきたパルコ・ロゴスギャラリーと日月堂の間では、「ムラカミ家」「学校用品店」そして「印刷解体」展のことを2004年以来-これまで対外的には使わずにきましたが-実は密かに「解体シリーズ」と呼び慣わしてきました。長い間、社会に求められ、人の役に立ってきながら、解体されつつある状況。そのなかで捨て去られてしまうもの。「解体」にまつわる光景は、何らかの仕舞いの光景です。何にせよ、幾ばくかの痛切さを伴います。ならばいっそのこと、明るく賑やかに、見送りたいと思います。同時にまた、仕舞いの光景はいつだって、何かしら無残さを滲ませています。無残ななかにあって、しかしそれでもなお、時に往時と変わらぬ美質を備えて輝いて見えるモノたちがあります。状況が無残であればあるほど、そうしたものをひとつでも多く見つけ出し、その価値を認める方たちがいる限り、もう一度、社会のなかへ、人の間へと、還流させてやりたいと思います。それが、「解体シリーズ」に込めた私たち企画者の願いでありました。
そうしたモノの存在こそが、記憶が失われた時に、記録と記憶とをつなぐ種子としての役割を果たしてくれるに違いないと思います。未来に向けてできるだけ多くの方に「記憶の種子」を手渡しておくこと。これが「解体シリーズ」の役割だと考えます。
■町工場の現場にて
その現場では、これまでの「解体シリーズ」のなかでも、はっきりと無残といえる光景が、私たちの目の前に広がっていました。
2007年6月。都内23区でも町工場の多い区のはずれ。100坪はあろうかという敷地に時代の変遷のなかで建て増し付け足されてきた工場の内部には、通路が迷路のように入り組み、その通路の上にも、打ち捨てられた工具や部品が散乱していました。迷路の先に広がるスペースは、一体どのように機能が分散されていたものか、すでにほとんどその面影を留めてはいませんでした。
床から唐突に伸び上がる水道の蛇口、留め金がはずれて傾いだ扉、虹色に光る機械油の水溜り、錆付いたまま放置された工具、回収業者を待つ鉄屑の山、引き出しが半分飛び出したままの事務机、手洗い場に転がる乾いた石鹸、書かれることを失った黒板とチョーク、そして、新たに繰られることのないカレンダーと止まったままの時計。不意に視界に飛び込んでくる白は、機械に無造作に掛けられた真新しいタオル。森閑として、灰色と茶色に塗り込められた世界のなか、点を穿ったようなその白さだけが、かつてそこにいた人の気配を伝えているようで、やけに生々しく感じられました。
「ムラカミ家」にせよ「学校用品店」にせよ、時代の節目を迎えながらも、まだこれから先の未来が残されていました。「印刷解体」もまた、状況としては解体途上にあるとはいえ、完全に役目を終えてしまったわけではありません。しかし今回の工場で、私たちは、朝とともに人が来ては仕事をし、夜とともに仕事を終えて帰る人たちとともに眠りにつき、次の朝を迎え、ある人は去り、時に新たな人を迎える…まるで生き物のようにその繰り返しをその身の内に引き受けていた“有機的な場の全き終焉”の場面に立ち会うことになったのです。
最初に現場に入ったのが2007年6月下旬。7月上旬には今回の企画展に出品するものを引き上げ、この月の間に、工場は姿を消して更地になるのだと聞きかされました。
■企画展「2007.東京.町工場より」
この企画は、これまで展開してきた「解体シリーズ」のなかでも、“最もリアルな解体の現場”に招来されたものだといえます。
無人の、無彩色の、秩序を失った、解体直前の工場には、それでもなお、これまで述べてきたような価値に値すると思われるものが、残されていました。
例えばパリの蚤の市。ここには工具専門の古道具屋があり、金型だけを扱う露天があり、時計の古い部品だけを扱う老店主が居ます。それを使う人・蒐める人がいてこそ成立する専門業者です。
戦後の美術界を見れば、ネヴェルソンや初期のクリスト、セザールなど、スクラップ・アートといわれる分野が存在しています。大量生産と大量消費、スクラップ&ビルトの繰り返される現代社会の鏡像といえるのかも知れません。
最近では、とくにエコロジーの観点から、廃品から日用品を作り出す動きも、一部はある種のブランドとしての認知を受け、世界に広がりつつあります。
「廃品」と「商品」や「アート」を隔てるものとは、最終的なカタチはどうあれ、それを再び生かそうとする視線が存在するかどうか―唯一、それだけのことではないか。そう思います。
とびきり洒落たステーショナリーとして。
どこか奇妙なオブジェとして。
アートへと発展させる素材として。
世界にひとつしかないプレゼントとして。
技術を受け継ぐ道具として。
すでにその実際の姿も分からぬまま、しかしそこに何らかの価値をそれぞれに見出し、廃墟となった工場から掬いあげてきたものたちです。
皆様に手渡す場となる会場では、廃墟とは対極にあるスタイリッシュな展示を心がけたいと思います。
すでに存在しない、かつての工場の姿は、約300点にのぼる画像をプリントアウトして会場内に掲出いたしますが、どこの、何の工場であったかは、今回、あえて明かさないことにいたしました。
かつての用途、本来の意味などの先入観にとらわれない、お客様ひとりひとりの新しい視線で―モノを素の姿として―眺めていただきたいと願うからです。
「解体シリーズ」中、最もリアルな現場から発した「2007.東京.町工場より」は、シリーズ中、最も「かつての姿」から遠ざかることの求められる企画となりました。
どこまで遠ざかることができるのか―すべてはご来場される皆様にお任せしたいと思います。一人でも多くの方のご来場を、企画者一同、心よりお願い申し上げます。
■販売商品
会場で販売する商品は、大きく以下の四つのカテゴリーに分類することができます。いずれもほとんどが一点ものとなっています。
*会期・会場等営業と販売に関する詳細はロゴスギャラリーのウェブサイトをご参照ください。