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13/04/13 戦後日本の風景より-『花ある毒草』のある映画館風景 と 木村伊兵衛ら文化社によるグラビア誌『マッセズ』創刊号


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■先ずはお知らせから。来週は4月16日(火)と20日(土)の両日は12時~20時で営いたしますが、18日(木)は臨時休業させていただく可能性があります。ご面倒をおかけして誠に申し訳ございませんが、この日のご来店に際しては、お出掛け前に先ずはお電話でご確認いただけますよう願いいたします。12時以降も留守番電話になっている場合は臨時休業となります。ご不便をおかけいたしますが、ご海容を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
今週は比較的まとまっての新入荷となります。なかでも珍しいのが終戦間もない日本の風景を切り取ったもので、1点目は「映画館のある風景」スナップ写真23枚。どういう意図で撮影されたのかと子細に見ていけば、塩野義製薬学術映画部製作による『花ある毒草』を上映している映画館での看板など宣伝の様子を記録したものだということが分かります。
塩野義製薬学術映画部は戦前から医学に関する映画の制作に積極的に取り組んでいたらしく、日本軍が南方戦線に展開していた1944(昭和19)年には『マラリア』という映画を製作、併せて梗概をまとめた出版も行っていたようです。『花ある毒草』は性病の予防と撲滅を目的として同じ映画部が手掛けた啓蒙的な学術映画で、終戦から約3年の1948(昭和23)年に完成。ウェブサイト『映画の国』によれば“フィルムが擦り切れるまで日本中で上映されたとか。”ということだそうです。今回入手した写真は、同時上映されていたラインナップから、1949(昭和24)年の映画館とその周辺の風景であることが分かりました。
撮影されているのは、浅草日本館、五反田東横、飛行館東横劇場、池袋日勝、西陣映画劇場、花月劇場など(一部裏面メモ書き有)。タイル張り映画館の建物から路上の物売り、半分壊れた川ふちの木の柵やまだ国民服を着ている子どもなど、貧しかった時代の風景が土埃の向こうから浮かび上がってくるようです。


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あ。『花ある毒草』は真面目な啓蒙的映画だったようですが、もちろん18歳未満は入場お断り。そして、その看板はなかなかに扇情的でありまして、フィルムが擦り切れるまでのヒットが真面目な塩野義さんの製作意図と完全に一致していたかどうかは ……謎?…… ということにしておきたいと思う次第です。
■こちらも戦後の焼け野原から立ち上がったメディア。昭和21(1946)年12月に創刊された『働く人のグラフ マッセズ THE MASSES』文化社の発行文化社は、戦時中、陸軍直属の出版社として発足、日本を代表する対外広報誌誌『FRONT』を制作・発行していた東方社の流れをひく組織で、ここから終戦直後に発行された写真集『東京一九四五年・秋』はご存知の方も多いかと思います。
今回入荷した『マッセズ』は文化社写真部を中心に木村伊兵衛、大木實などが写真を担当(クレジット入り)、レイアウトとカットは多川精一と村田道紀によるもので、東方社流のフォトモンタージュや大胆な写真レイアウトはここでも健在です。
とくに労働運動に立脚した記事を中心とした編集で、中村健蔵、江口渙、松本正雄などが原稿を書き、『小さいペーター』の翻訳「平太物語」にはグロッスの挿絵を配するとともに、グロッスの簡単な紹介も添えられました。
主に印刷事情の関係から、replica watches 当初より不定期刊行を余儀なくされたという『マッセズ』は、当創刊号から翌1947年10月に発行された4号までで終刊。創刊号の breitling watches 定価が8円と高額だったこともあってあまり売れなかったのか、市場などでも比較的目にすることの少ない雑誌となっています。
今週はこの他、資生堂のチラシなど古い印刷物約20点、戦前~戦後海外旅行パンフレット・地図等がちいさな箱ひとつ分、佐々木邦の著書ばかり62冊、李禹煥の著書2冊を含む美術関係書11冊、挿絵の愛らしい子ども向け孔版のキリスト教テキスト『天国新聞』6冊などが明日には店に入荷いたします。


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