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12/12/15 戦前昭和のモダン建築 長谷部竹腰建築事務所の仕事から


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私邸の外観、内部、家具調度、照明器具など。下段右端は当時としては相当機能的な最新機器を投入したキッチン。

■先ずはお知らせです。来週火曜日、若い男子(!)に半日ほど店を任せ、夕方まで店主は不在とさせていただきます。如何にも気難しそうないつもの仏頂面ではなく、たまにはさわやかな若者の笑顔でお客様をお迎えしようというこの趣向、ご都合がつけば是非ご来店下さい。木曜、土曜はまた仏頂面でご勘弁いただきます。いつものことで。ええその。悪しからず!
さて、今週の新着品。アール・デコの館に近いものって - 当然のお話、朝香さん家とはいかないまでも - 日本国内、他にもまだまだあったんだなぁ。と、つくづく見入ってしまった写真が1袋。裏側に「住友銀行京都支店」「営業室」の書き入れ、「長谷部・竹腰建築事務所」のスタンプ。この2枚を手掛かりに、あてずっぽうに入札したのを落手しました。紙焼き約80点は、後に日建設計の源流となった長谷部竹腰建築事務所の仕事で、東京芸術大学で建築を学び、1932年には一時パリに渡り、帰国後卒業制作が学校の買い上げとなった長原玄の旧蔵品と推測されます。
写真は住友銀行京都支店や昭和期の貴重な建造物として国の登録有形文化財に登録されている長谷部鋭吉設計の京都・近衛家「陽明文庫」、色ガラスのモザイクがモダンな「本町停留所」の地下鉄入口の他は、威風堂々たるモダン建築の私邸が主。写真裏面に残された僅かなメモと、写真の焼きつけ・サイズ等の揃い方や図版の照合などを基に、凡そ1937(昭和12)~1938(昭和13)年にかけて施工された物件中心と見られます。
個人住宅といってもこの当時のモダン建築のこと、敷地面積も建造物としての規模も豪壮なら、一点一点誂えられた照明器具から家具調度まで、それはもう細部にわたってデザインし尽くされているといっても過言ではない贅沢なもの。ヨーロッパからは一拍遅れた感はありますが、全体のデザインはアール・デコの幾何学的装飾と、装飾をはぎとったモダニズムのちょうど中間あたりといった感じでしょうか。改めて細部まで見ていくと、センスにしても設備にしても、戦後復興前の日本の数段先を行っていたことだけは明らかです。壁にはレリーフが飾られ、庭園には噴水、玄関口には現代的な彫刻が置かれるなど、いずれにしても上流階級でなければ望むべくもない個人住宅ではありますが、この時代のモダン住宅がほとんど残されていないことを考えると、建築資料として、戦前の上流階級の暮らしぶりを瞥見するための資料として、色々な手掛かりが詰まっているものと思われます。


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住友銀行京都支店の外観と営業室。鉄骨のアップは溶接など技術的な側面での記録として撮影されたものか。

■画像2点目も同じ写真の一括から出てきた鉄骨部分をアップした写真。なかなか格好がよろしいので、「新興写真の試作でも?」と当初そんなことさえ考えてしまったのですが、「長谷部竹腰建築事務所」で検索してみると、「初期は溶接に関する鉄骨構造体を多く手がけていく。」ときっぱり書かれていて、呆気なく事情が解明されてしまいました。もう少し考えさせて欲しかった。なんてことは午前2時をまわると思わなくなるものです。
今週はこの他、写真関係の展覧会を中心に図録約30冊、洋雑誌でフランス1960年代の『L'OFFICIEL』を中心に『SEVENTEEN』『ESQUIRE』など約40冊などを明日以降、値段を付けて順次店頭に出す予定です。
■年内の当ページ更新もあと1度か多くても2度。明年1月には即売会も控えております。がしかし、今年はまだ大きな権利であり果たすべき義務も残されています。あ。義務の方で云えば青色申告の用意もだ。う。  それはさておき、色々と考えさせられることの多かった2012年ですが、頭の中にあったモヤモヤしたものを見事に整理してくれた一文を写しておきます。
「建国の頃アメリカは奴隷制を受け入れていたのだから、歴史的には奴隷制は当然の制度だ、という議論は、いまのアメリカではまったく受け入れられない。過去は常に現在からの審判に向かい合わねばならないのだ」(朝日新聞11月29日「論壇時評」高橋源一郎)
過去は、それが生じた歴史的な地点での事情によるのではなく、それが生じた地点からすれば未来にあたる「現在」に照らして評価される、と云うのです。「あの時は仕方なかった」では済まないのが歴史に対する審判だということですね。
民族を超え、立場を超え、あらゆる人間が、その場しのぎの場当たりだけで生きてはならない理由。いかに苦しい状況にあっても、人間には、理性に基づき選択する意志と生きる努力とが求められる、その理由。そのかなり大きな部分を、簡潔に説明してくれる文章だと思います。

後先考えずお札をどんどん刷ってしまうこと(国際的な信用はどうなるんだ? 実体と乖離した景気対策は一時のことに過ぎないと随分痛い目にもあってきたと思うのだが…)や戦争するゾと恫喝してみせるような真似が、他民族を貶めるような言葉をわざわざ選んで使うような行動が、果たして近い将来=そう遠くない現在 から見て評価されるものなのか。いつまた暴れ出すか分からない不安定な地盤(国土)の上で、いまも刻々と放射性物質を降らせ続けている災厄を抱えながら、それでも原発は廃絶しないのだという選択は、あるいは徴兵制や戦争にまで道を開きかねない政策の選択が、来るべき未来=やがてやってくる現在 によって、果たしてどう裁かれるのか。戦後最大の歴史の転換点になりかねないこの12月16日は、そんなことをしっかり頭に刻み込んで投票所に向かいます。もとより負けるのは承知の上。いやむしろ、勇んで負けに出かけたい。負けても負けてもいくら負け続けようが、未来に向けて誠実に生きた人たちの努力の積み重ねによって、ようやく、平民にも、貧乏人にも、女性にも、成人にあまねく与えられるようになった選挙権です。無駄にしてはそれこそ過去にも未来にも、顔向けできないというものではないですか。それより何より有権者歴30余年の私の場合、投票した政党が勝ったのは後にも先にも1回きり。しかも日々市場でも負けが込んでおりますので、負け続けるのにはどうやらすっかり慣れてしまったらしい。いいのか? それで!
 

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