■交遊関係をぐるっと見渡してみても、どうやらいま話題の方とその配下-或いはそうなりたがっている - 方々を支持しようという人がいないものだから、盛んに報道される支持率などを見たところで、政権掌握の可能性についてはどうもピンと来にくいのだけれど、どうやら世の趨勢は我等の方にはなく、件の方が権力の座についた折にはその勢いを駆っていよいよ遷都、はいささか無理があるとしても分都、くらいのことは起きるのかも知れないな、あ、それより道州制が眼目だったっけ、なんてことを考えながら、今日一日足元の地面が揺れたり割れたりせず天から灰が降ることなく海から水が駆け上ってくることもなく済んだこと、もうそれだけで充分奇跡じゃないかと分かってくると、もはや遷都程度のことが起こったところで驚かないしリスクの分散にもなるなら結構、ともあれ遷都もしくは分都があるとすればこのあたりしか考えてないんだろうという - がしかしこちらも足元に危険を潜ませている - 大阪の、昔の姿を留める『大阪府写真帖』。
“大阪府御編纂”で 東京市・田山宗堯という人を発行人として刊行された大正3(1914)年11月28日付の再版。因みに初版は同年同月5日となっているので、短期間に相当な数がさばけたということになります、これが事実であれば。
B5判布装上製、タイトル金箔押、天金。写真は片面刷の86Pで全130カット所収。写真の対向頁にあたるところには、それぞれの解説文を印刷した薄い紙が綴じ込まれています。
凱旋門の上にエッフェル塔を継ぎ足した旧通天閣の姿は「新世界」の写真の中に僅かに写っているだけというのがちょっと残念ですが、見晴かす大空間に機械が文字通り櫛比する近代的な空間に、そこだけ時代から取り残されてしまったような丸髷にキモノの女工が散発的に配置された「東洋紡績」の工場、大阪電燈株式会社の“大発電所”整然とした造幣局印刷所の内部、金融市場の活況を物語る大阪株式取引所、煙突から盛んに煙の立ち昇る工場地帯、建造中の大阪控訴院、どこか江戸時代にも通底する繁華街・提灯と幟とで満艦飾の道頓堀を埋める人波や、江戸時代とそう変わらないようにも見える雑喉場魚市場、鉄路の上に大きな空が広がる大阪駅、どこかのんびりした大阪港……思わず見入ってしまう面白さは、近世の面影と、モボ・モガが登場する近代の予兆とを同時にあわせ呑んでいた、まさしくこの時代特有の面白さといえるものでしょう。
■大正3年=1914年の大阪から遡ること約20年、こちらは1893年のシカゴの写真帖『CHICAGO AND THE WORLD’S COLUMBIAN EXPOSITION』。この年シカゴでは、コロンブスによるアメリカ大陸発見400周年を記念した国際博覧会「シカゴ・コロンブス万国博覧会」が開かれており、写真帖はシカゴの都市の偉観と博覧会の盛況とを写したものとなっています。ページによって、几帳面な毛筆書でメモが書き込まれていて - 例えば「シカコ河橋 コノ橋ハ 大船ノ通航スル時 クルリト 廻ハル 仕掛ナリ」など - 当時、実際にシカゴに行った日本人が持ち帰ったものと思われます。
表紙は深いエンボスにタイトル金箔押し、写真帖の最後を、アメリカ人技師のジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアの設計でエッフェル塔に対抗して作られたというモーター駆動による機械式観覧車(フェリス・ホイール)- 直径75.5m、2,160人乗り!- が飾っています。
天空高く聳え立つ建物、立派なパヴィリオンや不思議な装置の並ぶ博覧会会場 … 明治の日本人が夢に描いた未来の断片を、この写真帖に見つけることができるかも知れません。
■時代は下って1930年代後半、ところはナチス政権下のドイツ。こちらも実際にドイツに渡航した日本人が持ち帰ったものだと思われます。『ERMANY MUNICH』は1938年夏のイベント一覧の掲載あり。『GERMAN RAILWAYS』もほぼ同時代。ミュンヘンの観光案内の写真も、国営鉄道のバンフレットに見られるスピード感溢れるパースペクティブも、すでに完全に移行していたモダニズムという新しい時代の空気を映したものになっています。
■この他、20世紀初頭・外国人肖像写真約40枚、戦前の英米文学関係洋書18本(400冊くらいか?)、大正時代・骨董品売買取引台帳3冊、書物関係洋書6点、額装済・石版刷のチャップリンの戦前ポスター1面などを落札しました。店への入荷は作業スケジュールの関係で来週木曜日9月20日となります。ただいま美術・文化系の書籍や洋書絵本など値段付けと店頭出しの作業を続けております。先ずはそちらの方からご高覧いただければ幸いです。