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12/07/21 お父さんが娘に贈った物語のような絵葉書129枚 / 神戸+パリ=モボの詩集『軽気球』


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右上段の「赤ずきん」2枚は切り抜き絵葉書 下段右から4点は全て目の部分に仕掛けが この他、刺繍をほどこしたもの、クリスマスやエープレールフールなどシーズン・グリーティングカードを含むデザイン性も豊な一揃い 本を膝に置いて高いところに座っているのが娘にメッセージを書き続けたお父さん

■ファイル1冊に全部で129枚、“選りすぐりの”という言葉さえ決して云い過ぎではない愛らしい外国製絵葉書が並べられていました。そのほとんどが、「はつこちゃん」というまだ幼い娘に宛て、海外で仕事をしていた父親が書いたもので、大正12(1923)年の10月から大正14(1925)年の1月までの分が几帳面に時系列でファイリングされています。
元気にしていますか、手紙をくれてとてもうれしい、三味線は上手になりましたか、弟の一郎さんとは仲良く遊んで下さいね、送ってくれた切り絵は上手にできていましたよ、ピアノを買ってあげましょう、ハンケチを送りましたよ …… 等々、こまごまと目配りした内容が綴られるなか、目立って多いのが「手紙を下さい、できるだけたくさん手紙を下さい」とい訴えるものです。
文面全部がカタカナで書かれているものが多いこと、漢字がほとんど使われていないことなどから、はつこちゃんはこの当時、せいぜい尋常小学校にあがるかあがらないかといったところではないかと推察するのですが、何を食べた何をした、日々の暮らしのことだけでも構わないからと、ただひたすらに手紙を乞う様子には、日に日に成長しているはず我が子の姿を見守ることのできない焦燥のようなものさえ感じられ、連日のように同じ訴えが続いていたりするところなど、読んでいて胸を突かれる思いがします。

郵送料倹約のため、封筒に数通の葉書をまとめて発送することが多かった当時のこと、当ファイルの絵葉書もご多分に漏れず、倹約に努められた結果として切手や消印などの痕跡は残されていません。従って、エンタイア趣味の方にとってはあいにくといわざるを得ない格好となりましたが、しかし、遥か遠い地の父から、娘に宛てて綴られた - 1枚1枚心を込めて選ばれたと思われる絵葉書のデザインをも含め - 物語としての魅力に溢れるものとなっています。
あともうひとつつけ加えるとすると -「パンとバターよりおちゃづけが食べたい。」なんていうことをついつい書かずには居られない日本男児の弱音もまた、いまではもはや想像するのが難しい、当時の海外暮らしのつらさを語って痛切です。
 


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向かって右が竹中郁デザインによるリノカット刷のカヴァー 『Kei ki ●』で『軽気球』と読ませます。 左は扉別丁頁に置かれた著者で、こちらは一柳慧のお父さん。パリに留学したモダンボーイ。

カヴァーに印刷された「Kei ki ●」。これをもって「軽気球」と読ませようという竹中郁のデザインも斬新な一柳信二著書の『第三詩集 軽気球』。昭和5(1930)年、神戸・海港詩人倶楽部発行の初版、カヴァーはリノカット刷
一柳信二は神戸出身のチェリストで大正13(1924)よりパリ国立音楽院で修業、昭和4(1929)年の修了により帰国。第一詩集と第二詩集はパリから送った原稿を竹中郁が編集、確認できた範囲で第一詩集『樹木』では「上梓ノ言」を寄せるとともに造本も手掛けたようですが、帰国後初の詩集となった『軽気球』も同じく竹中郁の造本、「あとがき」とともに、「魂の散歩」と題した詩を1篇、画家の里見勝蔵(同じ題のもとに詩1篇を寄稿)とともに寄せています。里見と一柳との接点については確実なことはいままだ分かりませんが、大正10(1921)より大正14(1925)年まで、里見もパリに留学していたことから、フランスで得た親交に基づくものではないかと想像しています。
さて、肝心の詩はと云いますと、レディメイド、海水浴、航海表、音楽会、街上散策、公衆電話 …… 等々、モダニズム詩集らしいタイトルが並んでいますが、一柳信二という人が、詩人としてよりも先ず音楽家、チェリストとして名を馳せたというその事実が、作品としての詩の評価を物語っているといえそうです。ちなみに一柳慧はこの人のひとり息子。
ここでももうひとつつけ加えるとすると - 大正12(1923)年の10月から大正14(1925)年の1月まで渡欧としていたはつこちゃんのお父さんが、本拠地としていたのがどうやらベルギーとパリ。とすると、大正13年から14年頃、パリの街かどで、或いは、松尾邦之助が書記になったばかりのパリ日本人会で、はつこちゃんのお父さんと一柳信二がすれ違うことがあったとしても、不思議ではなかったろうと思うのです。
■化粧をしている写真を懸賞募集し作品集にまとめた『御園のおもかげ』ヘンリー・ミラーの直筆詩篇入・限定100部本『不眠症 あるいは飛び跳ねる悪魔』ロッキード事件関係『週刊ピーナツ』合本、はつこちゃん宛てとは別の外国絵葉書1しばり、そして、1900年代のフランスの洋服生地現物を集め大判・厚冊のテスタイル・サンプル集2冊などが明日には店に入荷いたします。

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