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12/03/31 ニッポン建築1960~1970年代 -『黒川紀章の作品』vs 『TAU』


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■海藤日出男という人のことは、現在地への店舗移転の際の目録をはじめ、これまでも何度か触れてきましたが、もうひとり、この人も私の頭のどこかに居座っていて、市場で、入札用の封筒に「浅田孝旧蔵」と書かれているのを目にした時には、いよいよ来たかと身構える気持ちになりました。誰よりも大きな結構を、いち早く構想しながら、自らが表に立つというより必要な才能を見出しては動かすことで、確実に時代を動かした人 - 海藤日出男と浅田孝との共通点を挙げるとすれば、こうした表現になりましょうか。それにしてもこれはかのセルジュ・ディアギレフにも通底することに違いなく、人を振り回すどころか自営業者になってからでさえ何故だか使われているような気がすることが間々ある小店店主、こういう方々が相当羨ましいと見えます-つったってあなたウツワがちがうはウツワが !
それはさておき。心もち前のめりで「浅田孝旧蔵」を見ていったわけですが、浅田孝らしい・だからこそ・といった品物・はほとんど見つけられず、一部に「環境デザインセンター」の蔵書印が押されているのを除くと、「浅田孝旧蔵」の痕跡などほとんど残されていません。それでも内容と、浅田←→著者の関係で、これだけはと思った3冊を落札。最初の新着品はその内の1冊です。
『黒川紀章の作品』は書店用のスリップまで残されていることから寄贈された可能性を思うのですが、宛書きも署名もなし。ポスターを拡げて見た形跡も、一柳慧作のレコードを聞いたような様子も全然なし。自ら恃むところ厚く、狷介とも伝えられる浅田の人となりから考えて、1970(昭和45)年の発行から42年の間、棚に差されたなり顧みられることもないまま放置されていたのではないかと勘繰りたくなりました。
肝心の書籍の内容ですが、昨年から今年初めにかけて森美術館で展覧会も開かれた「メタボリズム」をテーマとしたもので、カプセル、プレハブなど空間に対するアプローチから未来の都市やネットワークに関する考察とメタモルフォーゼの概念、そして実作まで、1959年から1969年までの実質10年の間に展開された黒川の思考と実践をまとめたもの。メタボリズムという概念は、石造りで数百年の寿命をもつ建築物に囲まれたヨーロッパなどとは決定的に異質な、日本独自の建築思想であり都市構想だとする指摘もありますが、近く開催が噂される海外での日本建築展でも重要なテーマのひとつになることが推測されます。そんな折の浅田孝旧蔵書の出現は、このあたりの事象がいま刻々と“括弧つきの歴史”の中へと組み入れられつつあることを、強く印象づけるものでもあります。
おっと。忘れるところでしたが、サイエンスとサイケデリックの融合で有機的世界観を表して達者な装丁とエディトリアル・デザインは粟津潔によるもの、そして発行は美術出版社です。
浅田孝旧蔵書からは他に『現実と創造 1946-1958』『建築と都市』という丹下健三の著書2冊が入荷いたします。


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黒川のメタボリズムとほぼ同時代の、けれど思想としては、黒川以下メタボリズム・グループが万博に重要な位置を占めるなど体制派だとすれば、こちらは反体制思想に立った、摩訶不思議な建築関係雑誌、『TAU 現象としての建築雑誌 創刊2号』。TAUは「TRANS-ARCHITECTURE & URBAN」の略で、1973(昭和48)年に商店建築社から発行されています。B4判の大型ビジュアル雑誌で、編集人はこの当時とっくにSF評論を始めていた - そして数年前には毎日新聞社を辞めていた - 石川喬司。全112Pの紙面は、どこも細部までびっしり視覚&言語情報を詰め込んでおり、しかもどこまでが原稿でどこからが広告か判然とせず、けれど細部に目を凝らせば、木村恒久だとか「遺留品研究所」だとかいうクレジットが散りばめられ、「アポロ☆月着陸船 Eagle」100分の1の紙模型やペコちゃんポコチャンとフランスキャラメルのキャラクターの女の子のとても奇妙なコラージュがあり、一体何がやりたかったのか完全に「建築」から逸脱し、むしろ時代批判の色が濃く、と同時に当時の前衛芸術運動の影響を強く感じさせます。
巻末8Pにわたり横浜の水上生活者=当時追われつつあった人たちに取材、自らも船での生活を決めていた上里義輝の「横浜ノアの箱舟」という記事が、写真やスケッチ、そして体制に向けて痛切な文章とで掲載されています。故人でありいまは“伝説的存在”とも呼ばれる上里氏の船は、関根伸夫など美術や建築に関わる若者たちのたまり場にもなったそうですが、私は子どもの頃、横浜の運河沿いに見た達磨船の記憶を呼び覚まされました。昭和はもう遠い昔になりました。
■今週は他に戦前の渡航記録写真帖から戦後昭和20~30年代の自動車ショウやドライブなどを含むアルバムなど写真帖が8冊ほどスペイン語版の『sputnik』藤富保男『評伝 北園克衛』『第一語の暗箱』などが入荷いたします。





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