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10/12/04 対外広報誌と加藤健詩集 その他今週入荷分はヴァラエティ豊かに


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左から 『NIPPON』表紙、 同書より見開き=名取洋之助の写真による「大阪」、『CANTON』表紙、『TRAVEL IN JAPAN』表紙

■ジェオグラフィカさんで12月25日まで開催中の「原由美子さんの仕事場から」。すでにお知らせしていた通り、今週、新たに商品を追加いたしました。ファッション小物と洋服を中心にダンボール箱2つ分。本日は間に合いませんでしたが、来週には画像を添えてご案内いたします。とはいえ、私どもの稚拙な画像でご覧いただくより現地で現物をご覧いただくのが一番。ということで、未見の方はもとより、すでにお訪ねのみなさまにも、これを機にお出掛け下さいますようお願い申し上げます。原さんが会場にいらっしゃる12月19日(日)もお忘れなく!- いいことが「ある?」「かも?」 知れませんよ。
12月というのは毎年市場に追われてるうちに終わるという印象が強いのも道理で、資料会大市、洋書会歳末市、明治古典会クリスマス大市などなど、年内いっぱいギリギリまで続く“ちょっと特別な”市場 - と、強いては金融機関との間 - を駈けずり廻るのが年の瀬の小店の恒例行事です。そうでなくとも12月はタイヘンだというのに、今年はまたアタマのネジのふたつみっつ確実にぶっとんでるとしか思えない買い続けの日々に、本気で自分の正気を疑い始めました。ただもう買い続けるだけってどうよそれ。それ。それは。それはさておき。今週、真っ先にご案内して真っ先に売りにかけたかった新着品はとても自力で持ち帰ることのできる代物ではなく、来週ご紹介させていただくとして。今週最初は戦中の対外広報誌各種より、画像は名取洋之助の日本工房による『NIPPON』第3号(1935年)『CANTON』第1巻第5号(1939年)『TRAVEL IN JAPAN』第2巻第3号(1936年)で、この他にもう1冊、こちらは東方社発行の『FRONT』1・2合併号(1942年)のドイツ語版も入荷しました。『NIPPON』第3号の表紙は山名文夫で、本文中、井伏鱒二による「浦島太郎」に添えられたカラー刷りの挿図も山名が担当しています。画像にとった見開きのページは「大阪」の特集ページから名取の写真が使われているところで、同じ特集には小石清の写真も使われています。また、あの崔承喜の朝鮮古謡の紹介のために光吉夏弥の原稿に写真入りで3Pが割かれており、ここでの写真が昭和11(1936)年11月・崔承喜舞踊研究所発行の『崔承喜パンフレット 第三号』に流用されていることが分かりました。


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加藤健著、昭和12年、竹村書房・限定250部発行の『詩抄』 装丁は藤田嗣治 函の女性の横顔と手の表情にどことなく舞踊芸術を思わせるところがある

『CANTON』は“アート紙、多色刷りで『NIPPON』の中国版といえる”(図録『名取洋之助と日本工房』)雑誌で5号の表紙は写真を名取、構成を亀倉雄策が担当、記事中では野間仁根のカラースケッチによる南支レポートが目立ちます。『TRAVEL~』の表紙デザインは原弘が担当、写真は日独合作映画「新しき土」の原節子で、裏表紙はこの頃まだ開催予定だった「第12回 東京オリンピック 1940」のフルカラー広告を掲載しています。戦中日本を代表する対外広報誌が複数種入荷した折角の機会なので、もう1点、『FRONT』を画像の中に置こうとすると …… これがどうにもしっくりきません。いうまでもなく、軍をバックに“力”を誇示しようとする『FRONT』と、あくまで文化訴求型・ソフト路線を貫く(貫かねばならない)他誌との間で、全くといってよいほど表現が異なることから来る違和感なのですが、むしろ画像には不在の『FRONT』の異様さの方が頭から離れません。念のため申し添えておきますと、『FRONT』ドイツ語版のビジュアルについては、日本語版や英語版と全く同一です。
■この洒落た函は一体何の本だろう、と、分からないまま手にしたのが加藤健という人の『詩抄』と題された詩集でした。昭和12年、竹村書房の発行で限定250部。函に描かれた女性像の横にある署名から、藤田嗣治が装丁した書籍であることが分かります。函から取り出した書籍には、他ではあまり見たことのない半透明部分がストライプのように見える深い紫色の紙がかけられていて、その薄い紙の下からは白い布に金線でコクトーを思わせる絵が現れます。


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雑多に縛られた1口から。原理と技術の基礎について紹介する入門書のようで、中に多数挿入される飛行機や飛行船のカラー石版刷の挿絵が素晴らしい 画像は扉と挿絵の1葉

表紙にも濃いグレーで「Foujita」の署名。藤田の仕事は見返し - 馬と鯨の絵の石版2色刷-や扉にも及んでいます。加藤健は盛岡の医師の息子、自らも医学の道へ進みながら病のため退学なども経験するなかで詩作を始め、医師になって後、38歳で亡くなるまでに12冊の詩集を残しているようです。藤田が「ピカソのよう」だと評したともいわれる加藤の詩は、抒情的精神にモダニズム的単語をちりばめ、時に実験的な構成を試みている、とでもいえばいいのか、出版当時の時代精神を映すものとしての評価 - というのが正直なところではないかと思われます。加藤健という人、この頃発行した自著にはいちいち個別のタイトルを付けなかったようで、ちょっとややこしい感じになりますが、同じ著書・同じ藤田の装丁による『詩集』(昭和13年・竹村書房、限定200部。藤田嗣治扉絵およびカット)、同じ著者・五十澤二郎装丁による『詩集』(昭和11年・竹村書房、限定千部)の合計3冊での入荷です。
今週はこの他、工場の写真かと思えば素朴でカラフルなイラストが表紙になってる1960~70年代東欧のグラフ雑誌約100冊、確実に10年ほどの時間差があったために1960~70年代のものとしか思えないのに実際には1970~80年代に発行された旧ソ連のプロダクト・デザイン専門誌約60冊、1930年代の雑誌『NEWYORKER』13冊、戦前の絵葉書帖1冊木版図案集『婦久佐』上下2冊、特色刷・カラー図版による戦前のキモノの意匠集が20冊くらい『帝国工芸』『日本工芸』『技芸』等工芸関係資料25冊、部分的に象牙の使われた古い製図道具と文具系の空き箱が小さなダンボール1箱分、古い和菓子の商標等の版木と商標がやっぱり小さなダンボールで1箱分くらい - 10月くらいに落札した菓子型とまとめて買えばあなたも今日から和菓子屋さん。- などが明日、店に配達されるはず。しかし、いつ落丁繰って値段つけて棚にキャビネットに入れられるのか … いやいや可及的速やかに片付けますよ。でることなら年内に…。

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