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10/02/13 1960~1970年代 大阪・東京・パリ / 都市の相貌


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1970年、大阪万博の年に発行された『季刊 KEN』シリーズNo.1は、全頁万博特集で万博の徹底批判を展開。万博の祝祭気分に冷や水を浴びせるような「釜ガ埼」の写真や「万博粉砕宣言」なども。発売元は写植のパアオニア企業・写研。

■あと8時間ほど後にはバンクーバー冬季オリンピックが開幕。先週の新着品でご案内した伊藤銃次郎氏の大外遊の記録『欧米の思出』のご紹介ではとても大切なことを書きもらしておりまして、伊藤さん、この旅の途上でベルリン・オリンピックを熱心に観戦していた様子が、チケット半券などとともに残されております。金曜深夜・土曜未明、このページのために国内に居ながら時差生活を送る毎週末、年毎にどうも足元が怪しくなってきているようで悪しからず…。
オリンピックと同様、20世紀的一大スペクタクルとして位置づけられるもののひとつが万国博覧会。いうまでもなく日本では1970年の大阪がそれで、確かに国を挙げての大イベントだったことを記憶しています。“世界の国からコンニチハ”とひたすら明るく前向きに歓迎されていたはずだったこのイベントについて、建築、美術、デザイン、写真や文学などなど芸術文化各界、左右に分かれて賛否両論喧々諤々…と、実は複雑な対立があったことを知るようになったのは1970年からず、ず、ずぅーーーーーーっと後のことでした。今週は金曜日の市場がお休み、なので最初の2点はともに数日だけ店頭に出したものの行き場をなくして暫くひっこめていたものから、先ずは『季刊 KEN』のシリーズNo.1


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『東京画報1』は和光大学芸術学科・同編集室名による発行で、学生による制作か。ビジュアルと警句から成る未綴じの作品リーフ72枚を筒函に収めたもの。大胆なビジュアル表現が目をひく。

昭和45年=1970年7月1日付で発行元は写研全頁特集「噫!万博」は、明らかに万博批判で一貫していて、産業界にあっては色々と利権もからんだであろう大阪万博、しかも高度に政治性を帯びる国家的事業に対して、こうした論調を「企業」が支援した珍しい例ではないでしょうか。写研の企業風土というのもなかなか気になるところです。巻頭のグラビアはテキストとともに東松照明、針生一郎、多木浩二、木村恒久などが寄稿、野坂昭如+石堂淑郎の対談もあれば、匿名による座談会あり、「万博におこしになった世界の皆さん!! 日本で有名な<生活館>釜ガ埼を案内します」という皮肉の利いたご案内あり、で、これら全てがアンチ万博。大阪万博を立体的に検証していこうという方にはお見落としならない1冊でしょう。
■大阪が万博で沸いていたのと同じ頃の東京は ……無刊期なので推測でしかありませんが、1970年代前半と目される東京の姿を映した『東京画報1』は、和光大学芸術学科≪東京画報≫編集室の制作、“視覚的な触覚作業集”とある副題の通り、筒函に、ビジュアル作品を未綴じリーフの格好で72葉収めた本ならざる本。この編集室に名前を連ねるのは総勢30名、しかしあいにく私の知る名前はなく、ところが作品を見れば画像に並べた通り、オリジナリティの問題 - 戦前のフォト・モンタージュの焼き直しであるとか、ヨコオさん的であるとかいう - を措けば、無名性など吹き飛ばす迫力のある作品多数。曰く、“巨大な象徴物は見あげられるもの 都市的本尊である”、曰く“東京はあなたをほうり出さない あなたはテクスチュアの一部として生かされる”、或いは“あなた わたしを必要としないのが 記念写真性である”等々、作品のひとつひとつに添えられた警句に表われる問題意識には、戦前のモダニズムに通底するものも。


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パリ都市景観保護の救世主(?)アルベール・ラプラドのスケッチ画集『CROQUIS PARIS. Quartiers du Centre, les Halles, le Marais』1967年版。ドールハウスの設計図と見まがう細密かつ瀟洒なプレートが110枚。新しいものでは1960年代に描かれたスケッチも。

当時二十歳前後の若者たちが見つめていたのは、人・モノ・コトを貪欲に飲み込む都市・東京であるとともに、戦後日本がようやくその地点まで戻ることのできた戦前モダニズムの再出発地点だったのではないでしょうか。函の背に「556」のハンコが押されていることから見て、800~1,000部は制作されたのではないかと思うこの作品集、作家の無名性ゆえに軽視されているのだとすればちょっと勿体ない、確かな時代の証言です。
大阪、東京ときて、今週3点目は正真正銘の新着品。『CROQUIS PARIS. Quartiers du Centre, les Halles, le Marais』1967年にパリで発行されたフランスの建築家アルベール・ラプラド( Albert LAPRADE)によるスケッチ画集。特色2色使い・背布のしっかりしたカルトンに、ラプラドによる細密かつ洒脱なパリ街角のスケッチ110枚が収められています。スケッチは1960年頃までに描き溜められたもので、ラプラドとは縁の深いマレ地区を含んでいます。ラプラドは、掻爬的撤去=建造物のファサードを残し内部だけを取り壊す手法で、歴史的街区の保護を打ち出した建築家だとか。20世紀初頭、最も輝かしい時代の景観を残すことのできたパリに対し、20世紀中後期、世界を代表する都市であっただろう東京はといえば…… すでに見渡す限りの焼け野原。パリの年間観光客数約1,500万人、対する東京はその三分の一。『東京画報1』の頃のTokyo - 例えば中銀タワービル竣工は1972年 - をラプラドに倣って保護していたなら、Tokyoにもオリンピック招致とは別の食いつなぎ方があったんじゃあないかと。 6億円踏み倒しなんてことにならなかったことだけは確か。 来週は月曜日に「中央市会大市」、金曜日にはいつもの市場がありまして新着品はどうなりますことやらまた金曜日深夜から土曜日未明にご案内申し上げます。

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