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10/01/23 『ベデガー』等海外ガイド・ブック約170冊一挙入荷 謎多き雑誌『大和 日伊月刊』や見る人それぞれに意味あり『PALMARES ANNEE SCOLAIRE 1924-1925』も 


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『YAMATO MENSILE ITALO-GIAPNESE (大和 日伊月刊) 』1941年発行の第8号と第2号。編集部はローマに置かれ、編集委員として滞伊日本人が参画。写真は日本から入手したものか。日本の古典的文化の紹介を中心にしながら、イタリア軍事産業企業の広告なども。画像は2冊の表紙と第8号の本文より、日本の学童教育、日本の原子力開発についての記事。

『ベデカー』3本口・43冊、『ブルーガイド』他4本口、『ミシュラン・ガイド』他4本口、『ロンドン』他ガイド・ブック2本口 … かくして明日、1月23日(土)に神田の東京古書会館から店に運送される落札品は14本のうち12本・冊数にしておよそ170冊前後の新着品がガイド・ブック=旅行書(すべて洋書)。これほどの量が市場に出るが久しぶりなら、小店に入荷するのも久しぶりで、戦前発行分から1960年代頃までに発行された旅行書のちょっとしたコレクションが、今週の新着品のメイン。その物量だけでもお伝えしたかったのですが、残念ながら市場で写真をとるわけにもいかず……
……なので、当頁でのご紹介は『YAMATO  MENSILE ITALO-GIAPNESE』、日本語で『大和 日伊月刊』と題された雑誌2冊から先ず。イタリア向けに日本を紹介したビジュアル誌は編集部がローマに置かれていたもので、彼の地では珍しいものなのかどうなのか、しかし少なくとも私は今回が初見でした。新着品はともに1941年発行の第2号と8号で、発行並びに編集主幹はイタリア人ですが、編集委員には野上豊一郎・弥生子の長男・素一、後の拓殖大学総長・安東義良、この3年後にはパルチザンの襲撃にあってイタリアで命を落とした軍人・光延東洋など、発行当時滞伊中と思われる日本人の名前が並んでいます。日本の古典的な文化紹介やイタリアでの文化活動などを中心とした全体に穏当な印象の雑誌ですが、思い出したように挿入される当時の“今日的日本”の記事やイタリア企業出稿による広告には、いかにもこの当時らしいプロパガンダ、機械主義的表現などが認められます。表紙に記された「大和 日伊月刊」という日本語の書体は、意図的なデザインなのかそれとも単にヘタなのか、何とも判断いたしかねるのですが、同じ調子の書体で本文テキスト中にたまに挟み込まれる日本語をじっと見つめた感じからいって、どうやら活字の手配ができず手描きで起こしたものと見えます。


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学績優秀者を表敬した写真帖『PALMARES ANNEE SCOLAIRE 1924-1925』。おしゃれに、ダンディにめかしこんだ、これでもかという数の男子の姿をコロタイプ印刷で精細に納めており、当時のファッション図鑑としても豊富な情報量をもつ。

ここまでして何故 …… 三国同盟の当時でも日独関係ほどの親密さをもち得なかったかに見える日伊関係、当誌刊行の背景にはどういう意図があったのか、例えば『FRANCE JAPON』の満鉄出資のようにスポンサーに日本関係機関がからんでいないのか、或いはフランスの松尾邦之助のような役割を果たした日本人はいないのか、この雑誌の発行が一体誰の、どんな利益につながっていたのか … 浅学ゆえに全くもって想像のつかない謎多き雑誌です。
■『ベデガー』などと同じ旧蔵者のものかと見れば、こちらはどうも別口で『PALMARES ANNEE SCOLAIRE 1924-1925』と題された写真アルバムは、ブリッュッセルのサン・バプチスタ・デ・ラ・サール校と同神学校サン・アルベール校1924-1925年度のさまざまな学科・分野の学績優秀者を記録とともに写真に残した記念帖。表紙はそっけないものですが、写真はセピア一色の美しいコロタイプ印刷・片面刷りに頁によってはインクブルーで氏名を刷り込み、さらに間紙(薄紙)入りと、優秀者のための記念に恥じない立派なつくり。当時の学校制度を調べてみないといけないのですが、日本では学童といわれる世代から、生徒、へたをすると学生までか - 愛らしい少年少年少年におおっ。このあたりからは麗しい青年青年青年 ……(見入る)………(まだか)…… 全頁! 男の子に次ぐ男の子たちのオンパレードであります。とまぁ、まだ若ければ美少年美青年図鑑として存分に堪能できるのでしょうが、美青年にリアリティのかけらも感じられなくなって幾星霜の不肖・日月堂、何故こんなものを買ったのかといいますと、これが非常に素晴らしいファッション図鑑になっているではないか!というのがその真意。この当時のこと、学童だろうが学生だろうが、ハレの場のためにめかしこんだ私服は基本・オーダーメード。一言でセーラー服といっていたものに実はこんなにヴァリエーションがあったのかと驚かされるし、スーツひとつ、シャツの襟ひとつとってもその多彩さとこの当時の完成度の高さはこの一冊で一目瞭然。それ以上に、靴と靴下の組み合わせ、パンツの微妙な丈から髪形まで、いやはやヨーロッパではこんな年頃からダンディズムを叩き込まれるものなのかと、つくづく感心させられる男子諸君の紳士ぶりなのでした。見る人によってさまざまな図鑑となるであろう厚さ2.5cmのこの一冊、さて、どのようなモノとしてどのような方の手に渡ることになりましょうか、婿入り先が楽しみだゾ 。姑はつきません。

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