■2009年5月19日より遡ること100年。1909年の今日。パリで。一人の異邦人の手によって、或るバレエ公演の幕が切って落とされました。
■ロシアからやってきた異邦人-いささか自嘲的に、いかさま師とも自称した一人の男。その名はセルゲイ・ジャーギレフ、フランスでは、そう、セルジュ・ディアギレフ。この男によって召集されるバレエ団の公演は、大成功を収めたこの日の誕生以来、世界中の、さまざまな芸術分野の先端を行く人たちの間で、「バレエ・リュス」として知られることになります。
■ディアギレフのバレエ・リュス。時にセンセーショナルに、時にスキャンダラスに、そして常に、最上のクリエーションを伴って、20年間に亘って繰り広げられた総合芸術運動。それは単にバレエ史上の事件であるだけでなく、「歴史的事件」といえるものだったことは、ここで改めて語るまでもありません。
■バレエ・リュスという名の歴史的事件。その事件が、遥か東方に隔てられていた日本にもさまざまな人やメディアを介して同時代的に到達し、あらゆる芸術・文化に関わる人たちに衝撃と影響を与えたことは、しかしこれまで詳しく語られることなく、従ってほとんど知られることもなかったのではないでしょうか。バレエ・リュスと同時代に、日本人はこの“事件”をどのように受容し、その痕跡をどのようにとどめ、それはいまどこに、どのように残されているのか。おそらく、このテーマのご研究ではただ一人の日本人 - 従って世界で唯一の存在 - が、これからここでご連載いただく沼辺信一氏です。
■ロシア絵本の蒐集・研究やプロコフィエフ研究など、分野を越境して20世紀芸術史をとらえる多才の士として知られ、とくに戦前の日欧芸術交流史に光をあててきた沼辺氏が、なかでもライフワークだと云われるご研究が「バレエ・リュスと日本人たち」です。縁あってこの度、長年の調査研究の精華である「バレエ・リュスと日本人たち」を15回に亘って、小店のサイト内「text」のページでご連載いただくことになりました。
■奇しくも今日、ディアギレフのバレエ・リュス誕生から100年。1909年のパリより、2009年の東京へ。物語のバトンは既に渡されています。
さて、前口上はこのくらいにして。時空を隔てた物語の幕を、そろそろ開けていただくことにいたしましょう。
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