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08/11/29 Information

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戦前・阪神間に在住した人のスクラップ帖。デザイン的にも優れた写真のフィルム・ガラス板のパッケージ多数。

■いやはやこの冬の厳しさよ。じっとしていたらあっという間に干上がるので、こうした時には運動量を増やして誤魔化す、というのは古本屋になってから身に付けた術。新着品を棚・引き出しに入れる一方、寝ていたものには鉈をふるう作業を進行中の店は、来週火・木・土曜日の各日おおむね12時~20時で営業の予定ですが、来週に限り、火曜日は閉店時間が、木曜日は開店時間が、それぞれ30分ほど繰り上がる可能性があります。どうかご留意下さいますよう、よろしくお願いいたします。 「こんな時に。」を「こんな時だからこそ。」に読み換えて、今週も買い続けました。市場で店で(読み換えが錯覚とか幻覚でないことを祈りつつ…)。フランス製のトレーディングカードや未使用の育児ノート等紙モノ1箱 (日本でこんなものが?…という筋の良さ)、ジョルジュ・バルビエのポショワール挿画額モノ2点に始まって、アメリカン・デコ感覚が横溢する大人のためのキャラクター漫画『EVE』のシリーズ2冊、『伯林大会報告書』 (ベルリン・オリンピックの詳細な資料)、1863年N.Y.の書肆から発行された銅版画図解入り『A MANUAL OF THE GAME OF BILLIARDS』 (アメリカにおけるビリヤード史上ごく初期のハウツー本)、戦前プロレタリア文学系冊書籍20冊、エリアーデ著作集等人文関係書24冊、建築関係書籍約30冊…等々のなかから迷った挙句、新着品のご紹介はひとことでは片付けられないものから。上の画像は戦前のスクラップ・ブック。写真のフィルム・ガラス板のパッケージがほとんどを占める一冊から。写真というものが相当に贅沢な趣味に位置していた当時のこと、また視覚文化に関わる商材ということもあってか、ブランド力を競うかのようにパッケージのデザインはいずれも高感度かつビビッド。いまはなき国産ブランドを多数含んでいる点では、資料として捉えることもできるのかも知れません。常々、スクラップ帖ほど旧蔵者のセンスと性格を映すものはない、と思ってきましたが、このスクラップ帖、どれも非常に丁寧に部分的な欠けもほとんどない広げ方から几帳面な貼り方まで、なかなかにウルサイ御仁だったのではないかと旧蔵者の人格が偲ばれます。写真関係以外に集められているのが百貨店と書店・古書店の水貼りシール、真空管のパッケージだという点では、文化教養・財政状態までもがこの一冊の中に記録されてしまっているようです。ちなみに水貼りシールから見て、旧蔵者は阪神間にお住まいだった方。さすがに写真文化尖端地域。ですね。

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松尾邦之助が編集長を務め、戦前のパリで発行されていた『ルヴュ・フランコ・ニッポンヌ』の第11号。松尾本人曰く“珍雑誌”と。

■さて、お次は『REVUE FRANCO-NIPPONNE』の1930年発行・第11号。戦前のパリで、日仏文化交流のオルガナイザー的な役割を担い続けた松尾邦之助を編集長として1926年に発行されたこの雑誌、日本では『日仏評論』と呼ばれています。スポンサーは極貧生活を続けていた松尾の前にある日突然現れた“怪紳士”中西顕政で、このあたりのことはとても面白いのですが、面白すぎて簡単には説明しきれません。なので現物に戻ってこの号に出てくる人名・内容だけを見れば…発行人・中西、編集長・松尾、松尾が日本文化の最大の理解者・紹介者として信頼したスタイニルベル・オーベルラン、当時のフランス俳諧の担い手の一人ルネ・モーブラン、日本から川路柳虹、当時パリ留学中の坂倉準三らが編集人に名を連ね、巻頭図版は高野三三男、長谷川潔、ヴァン・ドンゲンなど、記事には北原白秋の作品あり、キク・ヤマダによる「源氏物語」の紹介にピエール・デ・パルマによる「HAI-KAI」あり、ノエル・ヌエット、オーベルランが寄稿…とまあいちいち文字の色を変えていられない(ので丸ごと変えた)ラインナップとなっています。松尾によれば発行当時の表紙は藤田嗣治のデッサン、レニエやフェルナン・グレッグ、クロード・ファレルの未発表詩などを掲載して、“パリの大新聞が、みな紹介の労をとってくれた”といいますが、日本紹介へと重心を移したきらいはあるものの、終刊の近付いていた当号にもまだ、その面影は十分残されています。また、“こうした一流文壇人は、わたしたちに一文の原稿料も請求しなかった”というのは、古き良き時代の話か、当時の内外文化人の矜持、でありましょうか。松尾の記憶する当誌の発行部数は“千部くらい”。ベルリンの宿で所有の同誌を焼失した松尾の手には、後に知人より贈られた一冊あるのみ、と本人が記していることからも珍しいものといって間違いなさそうです。これともう一冊、『SALON des Artistes Japonais PARIS 1929』も入荷。こちらは薩摩治郎八が主催した在パリ日本人画家の作品展の目録で作家名と作品名に当時の住所を記しただけのものですが、蕗谷虹児、福沢一朗、岡鹿之助、戸田海笛などの名前が並ぶ純粋な資料…ううむ。今週も地味な新着になりました。バルビエの額をはじめとする華やかなアイテムについては、是非、店頭でご確認ください。クリスマスまであと少し。店も模様替えに努めます。

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