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08/11/08 Information

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ロシア絵本の完全な引き写し 昭和15(1940)年花王石鹸発行の写真絵本『コレハ何デセウ』

■今週、二度目のご来店と仰る若い男性のお客様から「このお店って、誰か来ることあるんですか?」とにこやかに尋ねられました。ご質問、御尤も!ご来客の有無に関わらず来週も店は火・木・土曜日の各日12時~20時で営業いたします。ところでこのご質問、皆さん聞きたくてもきりだせなかったことではないかと。ここだけの話しなんですがね。私自身どうして食べてられてるのか謎なんですよこれがほんとに。 ボロ負けだった先週の分、今週は取り戻せたのかどうかは新着品からご判断を。上の画像『コレハ何デセウ』は昭和15(1940)年、花王石鹸本舗児童課編・花王石鹸株式会社長瀬商会発行の写真絵本。全編写真と算数問題のみで構成され、子供たちの身近にあるモノを部分写真や拡大写真に撮って収め、それが何だか考えさせるというもので、問題にあたる写真に各々計算問題が添えられているのがミソ。正解はもちろん全体の形状を写した写真で示されるわけですが、計算問題の正解が正しい答えの写真に添えられ解答を示すという仕組み。と、ここまで説明したところで。はい。2004年に開催された『幻のロシア絵本1920-30年代』の図録を取り出し、73Pを開いて下さい。そうなんです。これ、1932年にロシアで発行され、“世界的にも最も初期の写真絵本のひとつ”とされる『これは何でしょう?』と-裁ち落としの写真処理や数式のレイアウト、書体まで-モチーフを除けばほとんど同じといっていい引き写しです。図録からの引用を続ければ、“1933年、写真と活字の組み合わせ方を模索していたデザイナー、原弘はこの絵本に着目し、写真雑誌『光画』のなかで紹介している”とあります。花王石鹸といえば真っ先に太田英茂の名前が浮かぶわけですが、太田は当書発行以前に花王を離れ、また原弘と確実につながる東方社への参画はこの後のこと。ならば発案者は、ロシア絵本と花王とを結びつけたキーマンは誰か…??? おそらく、という留保つきで想像すれば、昭和5(1930)年から花王石鹸広告部に嘱託として席を置き、昭和7(1932)年の『光画』創刊当時からの同人だった木村伊兵衛あたりが怪しくないか。従って、当書の写真もまた木村によるものではないだろうか、というのが只今現在の推論です。さらに。「いや、もしやレイアウトも原弘がやってたりして。」やら、「『ピクトリアル・アルファベット』の習作になったんじゃないの。」だの……このささやかな冊子の存在ひとつが、妄想をかきたててやみません。

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昭和11年・限定500部発行『国菓図鑑』はお菓子のデザイン見本帳。多色刷木版35図を収める。

■がらっと趣が変わります。昭和11年1月1日、限定500部発行『国菓図鑑』。いわばお菓子のデザイン図版集といったもので、全頁綺羅引き和紙使い、木版多色刷35図を所収。図版の細部にはさらに手で彩色を施した跡が認められます。またそれぞれ菓子銘と簡単なレシピが記されているのですが、銘とデザインとを対照して見れば、日本人が元々もっていた抽象化に長けたデザイン能力や季節感を簡潔に表す言語能力に感心し、材料を見れば苺羊羹に昆布羹、引茶羹あればこれって何だろハツタイ羊羹と、「羹」がつく素材だけでその種類数知れず、その全てをできることなら味わってみたいものだと思い、こちらはもう何の理屈も文句もなく、ただひたすら眼玉と脳とを楽しませてくれる一冊です。画像は35図のうち、「フルーツキヤンデー」の頁と里錦、藤影、春野といった銘の並ぶ「流し物 その一」の頁です。画像にはあえて採りませんでしたが、巻頭の「千代の縁」の意匠は圧巻。今週はこの他、岡本潤詩集『罰当たりは生きている』から、江戸後期の紋帳4冊、名もなき一般人の戦前の写真一袋、戦前アール・デコ期の壁紙現物見本帖4冊、いまや文房具屋さんに行っても手に入らない古い未使用の住所録、名刺ホルダー、出納帳等まとめて一括などが新入荷。また、来週月曜日には追加の落札品(本中心となるはず)も判明する予定、こちらはまた改めて。

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