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07/10/16 Information

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『SCHNACKNBERG KOSTUME/PLAKATE UND DECORATION』 多色石版刷のポスター、衣裳画多数

■通例に戻って先ずは営業案内から。今週、店は普段の通り火・木・土曜日・各日12時~20時で営業いたします。企画展「2007.東京.町工場より」も22日(月)まで引き続きロゴスギャラリーで開催中。店、企画展ともども、何卒よろしくお願いいたします。 先週金曜は神田の市場に行けず、しかしだからといって新着品なし、ではございません。先週月曜日の神奈川県大市会の落札品が入荷します。最初は1922年にミュンヘンで発行された『SCHNACKNBERG KOSTUME/PLAKATE UND DECORATION』。シュナッケンベルク…? 正直いって全く知らない名前。収められている作品―なかでもこの人デザインの衣裳を身にまとうダンサーたちの写真がどれもあまりに退廃的なのに賭けてみることに。落札できたの(しかも強気の上札…)に慌てて、少々調べてみたところ、シュナッケンベルグは最初ユーゲント・シュティールの画家としてスタート、その後パリに出てロートレックの作品に影響を受けポスターを手掛けるようになったようで、確かに作風はロートレック風。ロートレック作品の持つ華やかさに対し、どこかしら暗さやゆがみ、ある種の“あやしさ”を湛えている点が個性といえましょうか。ドイツを中心にヨーロッパでは一定の評価を得ており、彼の手掛けたポスターのリプリントは今でも盛んに販売されている一方、シュナッケンベルクの作品集はこの本が唯一で、作品のほとんどを多色石版刷で収めていることもあり、評価の高い書籍のようです。当初圧倒された衣裳の仕事についても調べるべく、手元にある資料を片っ端からあたったもののヒントさえなく、ドイツの舞踊関係サイトに僅かにダンサー名を留めるのみ。こちら方面は完全に私の見込み違いでありました。この本、埃シミの状態などから長く日本国内にあったものと思われ、だとすればまたいつの日か、買おうじゃないかという日本人も…現れるものと思いたい。

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『薔薇の答』 タイトルの一部を図案に置き換えた心憎い装丁 非売品・写真多数

■こちらも神奈川からの新着品。タイトルの一部を図案に置き換えたなかなか心憎い装丁は、『薔薇の答』。アンナ・スラヴィーナと益田太郎冠者との共著による戯曲で大正10年発行の非売品です。益田太郎冠者は鈍翁益田孝の次男。海外遊学後、実業家として手腕を揮う一方、帝劇役員を務め、彼の地で見聞したオペレッタ、コントを日本に広めました。太郎冠者の作詞した「コロッケの唄」はかつて有名で、私もなぜか知ってます。金持ちの道楽はこうでなくてはいけません。パリのカフェを舞台とする『薔薇の答』は帝劇で上演されたようで、守田勘弥、坂東玉三郎、森律子などの舞台写真が本の厚さのほぼ二分の一を占めています。女性役の衣裳、ヘアスタイルはいかにも当時尖端の「モガ」風。さて、問題はもう一人の著者、アンナ・スラヴィーナ。もう四~五年前、ある勉強会でロシア貴族の血を引くハンセン病詩人のことを知りました。彼は日本で生まれ、戦時中に発病。孫をたった一人で療養所に入れるのは忍びなく、一緒に入所した祖母=ロシア人が帝劇にもからんだ女優だった人で…と、そうした記憶が残っていました。この祖母というのが共著者であるスラヴィーナその人。今回、改めて調べてみると、北大のスラブ研究センターのサイト内、「日本における白系ロシア人史の断章―プーシキン没後100年祭(1937年、東京)」のなかでA.D.ドルツカーヤの名で紹介されています。帝劇との関係は記述がなく、これは私の記憶違いの可能性が高いのですが、モスクワ・マールイ劇場で演劇を学び、ワルシャワの帝室劇場の舞台女優を経て、ハルピンで松旭斎天勝一座に加わり来日、「スラーヴィナ劇団」を結成すると日本全国を巡業、小山内薫校長の「松竹キネマ」の俳優学校で教鞭をとり、「白系露西亜人文芸会」で理事を務め、やがて孫とともに草津温泉町に移り、この地で1966年に死亡-と波乱万丈の人生を送ったことが分かります。演劇にせよ舞踊にせよ元来資料が乏しく、ましてや映画のようにその作品を実体として残すことさえできない舞台芸術に関わった多くの人たちの宿命とはいえ、こんな人生を送った人の評伝が一冊も存在しないというのは、いかにも淋しいことではあります。 なぜ古本屋が?もはや何屋か分からない…とまぁ色々と疑問の渦巻く「町工場」展ですが、会場に居てひとつひとつの機械部品をつくづく眺めていると― 機械部品とは、産業革命以降続いた近代社会のなかで、技術という人が耕した土壌に発生した森のように見えてきます。デザインしようという人の意志や意図を一切排除し、あくまで技術に奉仕するものとして絶対的な規制を受けながら、それぞれが有機的に結びついてある技術を完結させる部品は、妥当な例えではないかも知れませんが、生態系を形作る樹木や生物のように、とても美しく力強いものです。淡々として潔いものです。町工場の機械部品だといって簡単に廃棄する風景は、近代という時代の棄景にも見えてきます。19世紀末から1920~30年代に生まれた思想や起きた事象、一言でくくるとするならモダニスムを、国を超え、事象の大小を超えて眺めてみたいというのが私の興味の中心であることに変わりはありません。だからこそ、その時代に生まれ、いまこの時代に実にあっさりと捨て去られるモノたちの、時代の行方を見届けること。そして時にそれに抗うこともまた日月堂の仕事だろうといえば大げさに過ぎますが。「町工場」展実行の衝動に駆られた理由は、会場でご高覧くださいますよう蛇足ながら…。会期中、水曜・金曜は夕方から会場に入ります。

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