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07/08/25 Information

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『LISTE DES GRANDS VINS FINS 1936』

■猛暑のためか数人の方のお顔を拝んだだけの今週の日月堂でありますが、来週も店は火・木・土曜日の12時~20時で営業いたします。一方、今週不調を訴えておりました店のパソコンは、あっけなくご昇天…このため、来週半ば頃まで、メールへのご返信等に多少お時間がかかってしまう可能性がございます。いま少しご不便をおかけいたしますが、何卒お赦しくださいますようお願い申し上げます。 仏国へゆきたしと思えどしかし彼の地は遠く…夏休みをとる余裕もない古本屋にとって、ハイ・シーズンのパリなんぞ夢のまた夢。せめてはその気分のかけらでも味わおうという趣向で(←強引です)、今週の新着品その①は『LISTE DES GRANDS VINS FINS 1936』、カッサンドルがデザインを手掛けたニコラ社のワインリスト1936年版。ニコラ社のワインリストとしては48Pと頁数が多く、活字と罫線・飾り、そして色だけの要素で構成されながら、そこはカッサンドルらしく様々な組み合わせで工夫が凝らされた頁は、どこをとっても実に美しい仕上がりです。印刷は全て片面刷り・袋綴じ、頁によって二色から四色使いで刷られた色はいまも鮮明で、おそらくは特色で一色ずつ印刷されたものではないかと思われます。ニコラ+カッサンドルのワインリストはもう一冊、1939年版も入荷。こちらの表紙は白の紙に墨文字で「n」とあるだけで、「書」をイメージしてのデザイン。中面のイラストにも、どこか墨絵のテイストが。カッサンドルとジャポニスムもしくはシノワズリー…もう一度カッサンドルの資料を見直さないと。あ、それと。意外に知られていないようですが、ニコラ社のワインリスト、現在プレミアがついているようなワインも載っているらしく、ワイン趣味の諸兄にとってはなかなか面白い読み物でもあるようですよ。

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『仏国行路記 附野中古水伝』

■新着品その②はこれぞ日本の古書といった佇まいでちょっと見そうは見えないけれど、強引にこじつけたからにはこちらもやはりパリがらみ。昭和11年、佐賀市の野中萬太郎を発行人とする私家版『仏国行路記 附野中古水伝』。昭和11年といえば1926年、前年の1925年には第六回の巴里万博(あのアール・デコ博ですね)が開かれたのを機に、日本が-幕府・薩摩藩・佐賀藩と三者に分かれて-巴里万博に初めて参加した1867年に佐賀藩から巴里に送られ、彼の地で客死した野中古水の遺稿「仏国行路記」を曾孫にあたる萬太郎が上梓したというもの。ちなみに巴里万博の佐賀藩同行者には、日本赤十字社の前身・博愛社を創設し、大隈重信らとともに「佐賀の七賢人」と称された後の伯爵・佐野常民の名前もあります。古水の手記である「行路記」自体は長崎出帆からマルセイユまでで途絶えるものの、編著者である鶴田伸義により、万博参加に至る交渉から現地での出品物とこれを巡る珍喜劇、幕府と薩摩との軋轢や博覧会の決算までが「巴里万博の追想」にまとめられ、また古水の人物・経歴-嬉野茶アメリカ輸出計画、巴里客死、渡仏中の書簡など-については、「野中古水伝」として併録されています。しかし不思議なのは客死とその後。マルセイユに5日滞在、その3日後パリのホテルに入り急病に襲われ同日夕刻に死去。しかもその死は佐賀藩一行帰朝後一年間もの長きにわたり遺族に対してまで秘匿されていたのだと記されています。秘密にしたのは故意にではなく、家族の制するのを振り切ってまで同行を誘った一行が自責の念に駆られてのことであろうとされていますが…さぁて本当かな? ともあれ、古水氏はパリの空の下、「ヘーラセース」つまりはショパンやモディリアニやエデット・ピアフも眠る「ペール・ラシューズ」の墓地に眠っているようです。来年、もしパリに行くことができれば、幕末に遥かな旅をした先人の墓に参るのも悪くない気がします。

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