#205 6-1-6 Minamiaoyama Minatoku TOKYO
info@nichigetu-do.com
TEL&FAX:03-3400-0327
sitemap mail

detail

19/07/20 昭和・戦後・日本より3題 … 土方巽と細江英公, 山名文夫、アーティスト・ユニオン

■はて面妖な。聞いたこともない見たこともないダンスの、しかも前衛舞踊の公演のパンフレットであることはわかります。ですがしかし。
「DANCE AVANT-GARDE」と云い「女流 AVANT・GARDE 舞踊公演」と云い「女流AVANT-GARDE」と云い、一体、どれがタイトルなのやら、それさえ判然としない。でも、このタイトルさえ判然としない公演を演出したのは津田信敏、大野一雄、土方巽、若松美黄であると云うし、会場ロビーでは「特別参加 細江英公写真展」が開かれているし、実際その細江による「女流アヴァンギャルド13人の唇」という作品が表2一面に使われているし、巻頭言には三島由紀夫、勅使河原宏、武智鉄二なんて名前が並んでるし。
さらに。
昭和35(1960)年当時、津田信敏舞踊学校で活動していたと見られる女流前衛舞踊家13名と大野慶人等によって結成されたPOWWPWによる計14作品には、津田はもとより若松、土方も大野も多数の作品に出演、ジャン・ヌーボーも出てるし、川口秀延は与謝野晶子役で踊る作品を発表してるし、シャンソンで丸山明宏が参加してるのもあるし、中林忠良が美術を手掛けたのももあるし。
果ては土方とその元妻・音来サヒナ、後妻・元藤燁子の名前が並ぶは、そもそも「女流AVANT-GARDE」が置かれていた「津田信敏舞踊学校」が後のアスベスト館になるわけで、60年代の幕開けに相応しく、当時の前衛芸術のドロドロでぐしゃぐしゃな状況を丸ごと抱え込んでいた様子が十二分に伝わってきます。
云い遅れましたが、この公演は1960年4月に都市センターホールで上演されたもので、当品には未使用のチケット(画像中、枡形の赤い小さな紙モノがそれ)が付いています。
話は少し戻って、とんでる女性を多数擁して舞踊学校を運営していた津田信敏とはどういう人か。恥ずかしながら、小店店主、この人のことはほとんど知りませんでした(こういうのが本当にやばい)。
津田信敏は1935年にドイツに渡りモデルネ・タンツを勉強して帰国。活動を開始したのは戦後1953年頃からだったらしく、この頃から「石井漠、高田せい子系統のモダン・バレエ」にも、「江口隆哉、宮操子のモダン・ダンス」にも組することなく、むしろその「創造のパターンのマンネリ化にホコ先を向け」ていくことになったと云います。1959年には江口隆哉の下を離れた大野一雄が津田の仕事に協力、同年「第1回女流アヴァンギャルド」を開催。今回入荷したのは翌年に開催された第2回開催分のパンフレットとチケットということになるわけですが、巻頭言の内、佐藤寅雄のメッセージには「第一回公演は強い批判をあび」とあることから、斯界に波紋を広げる内容であったことは間違いなさそうです。 

津田をはじめ当時の舞踊界をめぐる重要な点については、大局から小事に至るまで、及川廣信氏がご自身のブログに大変詳しく紹介されているので、ご一読をお勧めいたします。上記「」で括った文章の一部は、こちらから引用させていただきました。https://sites.google.com/site/oikawahironobu/Home/60nendai
さて、主役の「女流アヴァンギャルド」ですが。土方巽の二人の夫人をのぞき、「女流」の面々が今日ほとんどその名前を追うことはできませんでした。一方、土方巽が「暗黒舞踏」を初めて名乗ったのはこの公演の翌1961年。以来、「世界のヒジカタ」へと登りつめていくことになります。舞踊芸術と舞踏芸術の変節点に位置付けられるパンフレットといっても過言ではない珍品。
 
今週は全点戦後昭和の日本から。
大正12(1923)年、プラトン社に入社、以来30年にわたり商業美術界で活躍した山名文夫のデザイナー業30年を記念した催しに関する小冊子2点。どちら昭和28(1953)年に発行されました。
画像向かって左は『Yamana Ayaoを語る』と題した二つ折り・4Pのエフェメラ。「デザイン生活30年記念 商業デザイナー 山名文夫をねぎらう会」と副題にあることから、「ねぎらう会」参加者他関係者に配られたものと推測します。原弘、新井靜一郎、山六郎等6つのテキストと山名のカット入り。
画像右側、表紙がカラーの冊子は『目録 Yamana Ayao 個展』として作成された表紙含め8Pの冊子展覧会は銀座の資生堂ギャラリーで開催されたもので、大正14年頃から直近の作品まで、山名自身が選んだ106点の展示作品をリスト化、これに山名の挨拶分を付した構成。表4は美術出版社から出版する『Yamana-Ayao挿画集』の概要と山名の文章が掲載されています。
いずれも山名の作風に相応しい、たいへん瀟洒な印刷物です。
 
 

■これだけ大きな動きであれば、ケンサクすればすぐに全貌が分かるものと思っていたのに、あれれ、実はそうでもないかも? と認識を改めつつあるのが『アーティスト・ユニオン・シンポジウム』1976年に開催されたこのシンポジウムに関係する印刷物・コピーなどが入荷しました。アイテムとしては①機関紙『アーティスト・ユニオン』創立特集号~10号揃い(合併号含む8点) ②挨拶状(交流会への招待) ③DM ④作家・出品目録 ④プログラム(手書き原紙のコピー) 。画像にとったこれら4アイテムの他に、⑤「'60年展経過報告と質疑」(1975年9月8日 付) ⑥「アーティスト・ユニオン規約書 原案」(1975年9月4日付)を付した一括です。
 
「アーティスト・ユニオン」とは、ジャンルや地域といった旧来からの垣根を超えて、芸術家の自律的な同盟組織を目指して結成した組織であり、「アーティスト・ユニオン・シンポジウム」はその結成第一回展にあたります。
作品出品に参加したアーティストは約180人。吉村益信、嶋本昭三、松沢宥、工藤哲己、池田龍雄、桜井孝身、水上旬、小杉武久、マッド・アマノ、田部光子、山崎つる子、ヨシダ・ヨシエ、針生一郎など
他に日替わりの企画で、フイルム・シンポジウム(松本俊夫、石崎浩一郎他)ミュージックシンポジウム(小杉武久、タジマハール旅行団他)なども。
アーティスト・ユニオン結成初期の資料として、一括での販売を予定しております。
 
今週はこの他、アヌイの翻訳者にして劇団四季・浅利慶太の盟友だった鬼頭哲人旧蔵の慶應大学時代~劇団四季創立初期のプログラム、フライヤー、チケットなど、印刷物が入荷。劇団四季の創立時は河原温、武満徹、安部公房、寺山修司など、アヴァンギャルドな傾向もあり、これから細かい部分を確認しつつ値付けに入ります。また、戦後東京のマッチ箱ピースの広告パッケージ、戦前のネルの生地の見本帖など、商品化まで少々時間がかかるものが入荷。しばしお待ち下さい。
あ。バウハウス叢書オリジナル・ヴァージョンも入荷しております(画像左上をご参照下さい)。
 
■どこに入れれば良いのか分からない。だから投票にいかない、と云う人に。下のリンクは例えばこんなふうに考える人がいるという一例です。投票にいきましょう!
https://www.facebook.com/haruhiko.shiozaki/posts/1308930205949631

inquiry 新着品案内 / new arrival に関するお問い合わせ

お名前 *
e-mail address *
お電話番号 *
お問い合わせ 件名
お問い合わせ 内容 *
  * は必須項目です)

recent