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19/07/13 七夕古書大入札会からの新着品内 自店用から3点!

■先週金曜日から昨日までの8日間のうち、5日間を市場に居続けて過ごしました。「七夕」では、扱うのは生涯一度きりとしか思えない吉原治良以下「具体」諸作家による寄せ書き実作1額、小店での扱いはまだ2度目の恩地孝四郎装・北園克衛著『サボテン島』、戦中の映画雑誌61冊一括その他お客さまからご注文をいただいた商品以外に自店用の商品を落札。「七夕」終わってさらに打ち続いた市場での落札品はとりあえず措いておいて、今週は蛮勇振り絞って小店入荷にこぎつけた「七夕」の成果から3点をピックアップします。
 
1点目は小店にとっては本筋の商材と云えるフランスの図案集『COLLECTION Decors et Couleurs. ALBUM No.1』。ジョルジュ・バルビエならぬジョルジュ・ヴァルミエという人の作品をポショワールで複製、オリジナルのポートフォリオに45×35cmと比較的大ぶりの未綴じプレート20葉を収めたものです。
奥付にあたる情報が見当たらず、タイトルと作家名とで調べてみたところ、1930年に限定100部がつくられたといわれます。小店初入荷ですが、限定100部となると、これもまた、生涯に1度扱えること、それだけでもう充分な僥倖ではないかと思いました。
しかも。当書のポショワールは全てジャン・ソデ(Jean Saudé)の仕事。ジャン・ソデはご存知の通り、20世紀初頭のフランスでポショワール(ステンシル)の技法を確立した名匠であり、アール・デコ期フランスで起こった挿画本流行の立役者のひとりとでもいうべき人物です。 

そして、著者であるジョルジュ・ヴァルミエ(Georges Valmier)は日本でこそあまり知られていませんが、20世紀はじめのフランスで前衛芸術に一定の役割を果たした画家であり、英語版wikiではその生涯と業績とが詳しく紹介されています。
曰く …… はじめセザンヌの作品に触発されて印象派に傾倒、エコール・デ・ボザールで学ぶ。25歳を過ぎた頃よりキュビスムに移行、1921年からはさらに抽象絵画へと転じ、「アブストラクション・クレアシオン」に参加。画家としての活動の他、演劇・バレエの舞台美術や衣裳を手掛け、音楽家としてドビュッシー、ラヴェル、フォーレ、サティなどのコンサートや教会での演奏にも関わり、1937年の万博では装飾を手掛ける …… とあり、周辺人物としてポール・コラン、フローラン・シュミット、ジャン・アルプ、クプカなどの名前も散見されます。
20世紀初頭のリトグラフ刷の図案集から1930年代頃まで、フランスを中心にヨーロッパ各国の図案集を比較的多く扱ってきた小店ですが、ハイ・アートの世界に身をおく作家の作品であること、ジャン・ソデという名前そのものがはっきりクレジットされているなど、これまでの図案集より数ランク上、まさに白眉とでも云うべきものではないかと考えています。
買えて良かった! … と思う一方、タナバタで買ったもの悉く、思い返せばどれも売れるまで10年近くかかったことを思うにつけ、果たしてこれを僥倖と呼ぶべきなんだかどうなんだか分からなくなるのでした。
 
■「アンリ・ミショーの肉筆ドローインク入り」だけであったら果たして入札していたかどうか。1979年に英訳で限定300部が発行された『Henri Michaux : A Selection』にはフランス語でSeiji Tsutsumi=堤清二宛ての献呈識語が入っていることに惹かれ、少々粘ってパドルを上げ続けた結果、落札できた1冊。
社会人生活を当時セゾングループの一角を占めたPARCOからスタートできたことは、小店店主にとって何よりの恩恵だったという思いはこのところとくに強くなってきているだけに、堤清二を取りこぼすわけにはいきません。
フランス語の識語は達筆すぎてまだ解読できていませんが5行あり、また、ドローイングはミショー得意のアンフォルメル。人の動きをとらえたかのような不定形の描線は、フランシス・ベーコンが「ポロックより優れている」と評価したという一連の作品に通じるものです。

西武美術館でアンリ・ミショー展が開催されたのは1983年のこと。堤清二とアンリ・ミショーがいつ、どこで顔を合わせたのかは分かりませんが、この展覧会に関係した受贈書と見て間違いないものと思われます。
画像は表紙側遊び紙に添付された署名入りのドローイングとタイトルページに書かれた仏文識語署名部分。外装については左上「営業日案内」のページをご参照下さい。美本です。
 
「七夕」目録で最初から気になっていたもののひとつが「武満徹原稿」でした。市場のガラスケースに収まっていたそれは、2006年に小店が落札し、一度はお客さまの手にお渡ししたものでした。小店が落札した直後に2度ほど、比較的短い武満の自筆原稿が市場に出たものの、しかしそれ以降というもの、ハガキや書簡は出てきても原稿が出てくることはほぼなかった武満の直筆です。迷わず買い戻すことにしました。
2006年、最初に落札した際には、ウェブサイトだけで公開した特集目録を通じて販売したのですが、この時の解説を改めて読んでみると我ながら感心するような出来。以下、その時のクレジットと解説を再録します。
 
武満徹・直筆原稿 「闇のなかの夢の時2」200字詰め原稿用紙22枚完
アイテム:ボールペン書き直筆原稿/版型:20字×10行(=1枚)/ページ数:22枚・ホチキス肩一ヶ所留め /状態:1P目少傷少汚、22P目下方余白部折跡
□主に、1930年代の映画の世界で起こった事象を考察する原稿。武満が生まれた1930年製作の『嘆きの天使』から書き起こし、サイレントからトーキーへの移行とその影響、’30年代における各国の検閲事情や日本戦時下の検閲状況へと書き継ぎ、映画の“他の芸術分野とは異なる新しさ”を指摘するとともに、「トーキー映画=映画における音声の獲得」こそがむしろ、“映像のエスペラントとして、あらゆる言語の障壁を打破”し“究極的には国家間の誤解を一掃する”希望なのだとする。多数の映画音楽を手掛けた武満の心願がこめらたかのようなこの原稿は、“世界が暗い夜に覆われたとき、映画館の暗闇では、希望の灯は燃え続けていた。”と結ばれている。」
 
思えばこの頃の仕事が、ニチゲツドウの仕事のピークでした。
13年を経て、もはや向上心のかけけらもなく、引き返す道もなし。
やばい。
でもいまは「七夕」のお支払いが一番やばい。
 
 

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