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19/02/16 モダンと前衛 … 1960年代の草月は

■実は『飛行官能』落札前の市場での落札品。いずれも“珍しい”の1点で見れば『飛行官能』以上と云うレアものではありますが、さて、反応のありやなしや。

あれ? 東京国立近代美術館のバウハウス展の? と思えばさにあらず。あの“草月会館”で、1963年2月20日から26日まで開催されたバウハウス展 --『草月とその時代 1945-1970』(1998年 芦屋市立美術博物館・千葉市美術館)によれば「バウハウス 1919-1933年の間の理念と制作 精神と生活を示す展覧会」 -- の招待状
同展については12Pほどの冊子が出ていますが、たった一週間の展示にこんな招待状まで用意さしていたとは !
招待状は9.3×9cm3面縦つながり両面=全6面から成るタトウ代わりの白い厚紙に、紙質の異なる9cm×9cmの色違いのカード4枚と薄紙を円形に型抜きした1枚。
この形状から考えて、専用封筒、正方形のカードと同色の円形の薄紙あと3色分がついて完品ではなかろうか…? というギモンがわいてきます。ギモンがわくとは云っても、何しろ関係資料をめくってもG先生経由でケンサクに励んでも、どこにも影も姿も見つからないいま現在、現状ママで評価額をつけますので、現品とその金額とにご納得いただければお求め下さい、ということになろうかと思います。小店、今回初見。そしておそらく今後、あっても1~2回程度扱えれば良い方ではないかと思うレアな紙モノであることだけは間違いなしです。
画像一番手前の赤のカードが左下角に切取線の入った招待状。ヴァルター・グロピウスの写真をあしらったブルーのカードの裏には国立西洋美術館館長・富永惣一、草月会会長・勅使河原蒼風の、オレンジの裏はドイツ大使と当時国立近代美術館次長だった今泉篤男の、グリーンのカードには東京・ドイツ文化研究所のDr.ベルンハルト・グロスマンと瀧口修造の、つまりは主催 東京・ドイツ文化研究所と草月会、後援 ドイツ大使館・国立近代美術館・毎日新聞という、展覧会に関わった各所から毎日新聞を除くひととおりの関係者、プラス瀧口の小文を配した格好。ナリは小さく瀟洒なたたずまいですが、なかなか高度な収納能力発揮しております。 

さて、デザインは誰か? ですが、頼りの綱の芦屋市美の図録にも、そもそも当品が掲載されていないので、明記されているわけではないのですが、グリーンのカードに使われてする図版と同じ図版をモチーフとしたポスターのデザインに杉浦康平の名前がクレジットされていることから、招待状についても杉浦の仕事か? とも思いますが、そのたありのことについてはご購入者の方の探求にお任せしたいと思います。従って、探求者 現れるのか!?というのが一番の問題。

画像2点目は“ジョン・ケージ・ショック”を巻き起こした1962年のケージ初来日時の写真他

■さて、ここからがお約束の追記です。昨年の11月末頃から何度か、海藤日出男旧蔵の - 或いはそうと思われる - エフェメラの類が市場に出品されています。海藤日出男は読売新聞社文化部次長の後、『草月』の編集長などを務めた人。表舞台に出るのを嫌った人らしく、瀧口修造と親密に交流、実験工房や読売アンデパンダンと深いかかわりをもち、晩年にはクリストのアンブレラに関係するなど、戦後日本美術史の裏側で多大な影響力をもち続けながらあまり注目されてこなかった人物です。もったいない。

昨年12月1日にご紹介した瀧口修造の手製10部雑誌『A Swift Requiem : Marcel Duchamp 1887-1968』も、献呈先が記されていなかったのではっきりとは云えませんでしたが、その後の出品などから推測するに、やはり海藤の旧蔵品であった可能性が高そうです。ちなみに『A Swift Requiem』については下のアドレスで。
http://www.nichigetu-do.com/navi/info/detail.php?id=1304
この後、昨年2度目となった海藤旧蔵品出品の市場は所用で行けず、今年になってからの3度目の出品で落札できたのがこの1点。実は最も欲しかった瀧口修造のテレックス申込書 - マルセル・デュシャン宛て! -は、1枚の紙ものとしては小店最高価格となる入札価格で臨むも不首尾に終わり、落札できたのがテレックスの次に狙っていた画像2点目のジョン・ケージ関係でした。
画像一番左に位置いる書籍は1962年発行の『John Cage』(Edition Peters 初版)で、海藤日出男宛の署名とともに、「1962年10月」と「午後、我々は1963年の10月のことについて考えていた」という短いけれど印象的な言葉が英語で添えられています。
写真3点はいずれも裏面に書き込みあり。全点鉛筆で「撮影・吉岡康弘 1962.10」の他、一番下の写真1点(大判)には「Osaka」の走り書き、上2点には「いけ華40号 座談会『ジョン・ケージ/デヴッド・テュードアを囲んで』に使用」という書き込みと「草月資料部」のスタンプがあり、1962当時雑誌掲載に使われたオリジナル・プリントと見られます。
『草月とその時代』によれば、「座談会」と書かれた写真は2点は10月10日、ケージ、テュードア、小野洋子が出演した「Evening of Devid Tudor-sogetsu contemporary series 17」、ケージとテュードアが並んだ写真は10月17日御堂筋会館での「ジョン・ケージとD.テュードアのイヴェント-sogetsu contemporary series 18」のものと見られます。 

吉岡康弘は赤瀬川原平などとともに読売アンデパンダンのお騒がせメンバーの一人で、1963年には掲載されている吉岡の写真が猥褻であるとして発禁となった『赤い風船 あるいは牝狼の夜』でご存知の方もいらっしゃるかも知れません。
楽譜の複写は袖を折り返した部分に「ケージのピアノとオーケストラのためのコンサートの楽譜」という書き込みがありますが、草月コンテンポラリー17、18の演奏曲目には記載なく、『いけ華』のための参考資料か時期の異なるコンサートの時のものなのか、そもそも誰の筆跡なのか、残念ですが詳らかにはいたしません。
もう1点、タイプ打ちテキストが複写された白い紙は詩人で荒川修作のパートナーだったマドリン・ギンズのメーリング・アートの一種。この用紙が送られた人が文章のブランクの部分を埋めて、N.Y.のギンズの私書箱宛てに返送するというもの。その全体を「グループ・ノベル」と名付けています。これだけはケージと無関係ですが、荒川もまた読売アンデパンダンの生んだアーティストのひとり、海藤との結びつきは自然。
海藤は草月流の勅使河原蒼風・宏父子とも親交深く、この頃すでに草月出版とも強い結びつきをもっており、どこから見ても海藤旧蔵としておかしくないユニークな一式です。
 
 

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