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16/07/30 古本屋20年。区切りの年の大整理。8月はひと月お休みをいただきます。

■梅雨明けとともに関東地方も夏の盛りに入りました。
暑中お見舞い申し上げます。
さて、ここ数週間お知らせしていた通り、8月1日より8月31日までのまる一ヶ月、店の営業を休みます。と云っても、旅に出るわけでもなければ療養を要するような状況にあるわけでもなく、とにかく店頭の商品構成とバックヤードに積み放題にしてきたストックとを徹底的に見直そうというもの。店内いっぱいに商品をひろげながらの作業となりますので、お客様をお迎えできるような状態ではなくなることが十分予測されるための休業です。何卒ご海容を賜りますようお願 い申し上げます。
ただ、市場やお客様のお宅にうかがう折など例によって不在の日あるものの、扉の向こうで仕事をしている日は多くなります。目的のお品物がはっきりしている方でご来店をご希望の方は、メールまたはお電話でお気軽にお問合せ下さい。可能な範囲で対応させていただきます。
9月、結果としてそう変わらなかったな、なんてことになりそうな嫌な予感もいたしますが、少しは清々とした顔をしてお客様をお迎えしたいと思います。
みなさまどうぞよい夏休みを。そして9月にはまたお目にかかれますように!
*そんな余裕があるのかどうかいささかアヤシイお話しではありますが、バックヤードから発掘した埋蔵品など、Facebookで時折ご報告できるかも知れません。気が向いたら覗いてみてやって下さい。よろしくお願いいたします。

先週は入荷予告で触れただけだった『建築写真類聚』より、今週2冊を画像にとりました。昭和5(1930)年発行・再版『第6期第6輯 新興アパートメント 巻1』全50葉+扉揃と、スパイラル綴じで昭和8(1933)年発行・第3版の『第8期第3輯 カフェー外観集 巻2』全50図+目次・序文・巻末広告等揃・函付です。
『新興アパートメント 巻1』は関東大震災後の復興建築で、同潤会の名で知られるようになったアパートから、「渋谷アパートメント」と「青山アパーメント」とを取り上げたもので、序文に曰く「可成り詳細な範囲に迄意を及ぼした積りであるから、巻頭のプランと照合することに依って殆どを洩らすところなくその大様を窺ひ知ること が出来やう」。実際、プラン = 図面に振られた記号番号と写真のプレートに振られたそれとを照合すると、頭の中に立体的な姿が浮かんでくるよう。なるほど、よく出来ています。「青山ア パートメント」はご存知の通り、現在の「表参道ヒルズ」ですが、「渋谷アパートメント」とはどこかと云うといまは複合ビル「代官山アドレス」となっている 「代官山アパート」のこと。Wikiには「青山アパートメント」の当初の名称が「渋谷アパート」だったとの記述がありますが、これは明らかに間違い。私く らいの年齢だと、表参道も代官山も、平面配置図を見ただけで、アパートが建っていた当時の建物の様子、緑の深い街路がどちらの方向に向かっていたのかまで しっかり記憶しておりまして、「渋谷アパート」の平面図は間違いなく代官山。

写真もまた、外観から内装、装飾、設備、機能等まで分かるように - 例えば電気の笠が部屋によってちゃんとデザインされているのが分かると云ったように - ツボを押さえていて、序文で語られたお言葉以上の出来。お見事。
『カフェー外観集』は文字通りカフェのファサードの写真集で、とくに大震災後に盛んに建てられたモダンなカフェばかり。東京に限らず大阪でも京都でも、 「表現主義からアール・デコを経てバウハウスまで」と副題をつけてもおかしくないモード系カフェ興隆の歴史をいまに伝える1冊です。それにしても、店主設計というのが多い のには驚かされます。それくらいの洒落者だからカフェのオーナーになれたのか、素人でも設計できるくらい身近に資料があったのか。横丁の大工さんとか街の印刷屋さんとか、通りの珈琲屋さんとか床屋さんとかが揃って洗練されたセンスをもっていたのだとすると、それはもういまよりずっと豊かな時代だったに違いないと思います。ああ、劣化していくばかりのニッポン……。
『建築写真類聚』ではこの他、やはりお医者さま自身で設計された例が多いスパイラル綴じの『医院建築 巻二』、「アパート」同様未綴じのプレートからなる『都ホテルと京都ホテル』(=プレート少欠)なども入荷。同じ戦前建築関係書籍として今井兼次編著『現 代建築家選 エミール・ファーレンカンプ』、ただいま移転問題で揺れている築地市場の竣工当時を伝える『東京市中央卸売市場築地本場・建築図集』、朝鮮ホテルや大和ホ テルなどの写真を含む清水組の『ホテル建築図集』などが入荷しました。

■それはまあ確に自分で入札した金額ではある。あるのだがしかしまさかここまで高くなるとは。仮に『昭和初期 カルピス街頭宣伝記録写真』と名付けた写真紙焼のファイルのことです。思えばカルピスはモードでありました。何しろ「カルピス飲んでカンカン娘」です。カ ンカン娘のずっと前からカルピスがモードであったことを物語る写真です。高値やむを得ずと云う筋の商品です。
写真紙焼はファイルに貼り付けられているものが5枚、ファイルの透明ポケットに入れられたものが58枚の計63枚。中でも目をひくのが「CAPY HOUSE」なるカルピス社単体で運営していたと見られる“喫茶とお食事”のカフェ。カルピスのウェブサイトによれば、“1933(昭和8)年には、 「567」「コーヒーエッセンス」の宣伝を目的として、アンテナショップ「カピー」(喫茶店)を新宿三越の裏隣と、井の頭公園に開店しました”とあります が、いま手元にある写真はサイトで紹介されている画像とは別もの。また、「カルピス喫茶」と銘打たれた建物の写真の裏には「呉日日新聞社 写真部」のハンコがあり、これも詳細は不明。
「567(ゴロナ)」は“ガラナエキスに柑橘類の苦味その他8種の原料を配合した”商品で昭和7年発売。63枚の中には、「567」のウィンドーディスプ レイや試飲会の写真も含まれています。この他、カルピスが主催し日本各地で展覧会が開催されたとみられる昭和4年頃の「国際交歓 図画海外学生展(裏面に新愛知新聞の印のあるもの、「大阪三越7階ニ於ケル海外学生図画展ノ盛況」「福井市だるまや」と書かれたもの、「長崎」とするも のあり)、昭和5年の「上野池之端 空と海の博覧会」出店時のディスプレイ、「原宿駅前」の看板昭和6年の「名古屋広告祭」の宣伝カーとディスプレイなど。満艦飾の宣伝カーから原宿駅前とは思えない建物に据えられた看板まで、概ね昭和4年から7年頃を中心とした写真は、どれをとっても面白いこと請け合います。

お金持ちの男性以外にも投票することが日本で認められたのは実はそう遠い昔のことではありません。日曜日は都知事選です。今週のななめ読みから。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160726-00060369/
私は週が明けるまで決して緑色のものを身につけません。

 

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