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15/09/19 国営放送の偏向報道を眺めながら … 土門拳の戦時下・全日本学生写真連盟の戦後

■私は、和民とタリーズを今後何があろうと一切利用しないことを誓います。
それはさておき。
安倍、という人が、岸、というA級戦犯の夢をやり遂げてしまった、ということになるのでしょうか。それとひと続きのような今週の1点目です。
岸信介内閣が総辞職に追い込まれることになった60年安保闘争は、その10年後、日米安保条約の自動延長阻止を目指した70年安保へとつながっていくわけですが、羽田闘争が始まった1967年頃から、学生によるさまざまな運動が社会の表に現れるようになります。
そうした時代の中に生まれたひとつの動きに、「全日本学生写真連盟」があった-数年ぶりに店にお顔を見せて下さった京都のIさんのご教示により、つい最近、知ったことです。
昨年10月、神奈川の古書入札会で落札したのはいいものの、一体誰が撮影したものなのか、どのような意図で撮影されたものなのか、全く分からないでいたファイル3冊・全90点のオリジナルプリントを久しぶりにバックヤードから引っ張り出し、あ~あぁ、どうしたもんですかねえ~としばらく眺めた挙句、また仕舞おうとしていた矢先に現われたのがIさん。「飛んで火に入る」を絵に描いたようなタイミングでした。Iさんのお見立てによると、幅広い撮影地、被写体の選び方、決して素直とは云えないアングル、人物の顔周辺を白くとばしす表現、「フェロがけ」と呼ばれる印画紙プリントの手法など、「全日本学生写真連盟」の作品の特徴ととてもよく似ているとの由。
なるほど、「全日本学生写真連盟」でケンサクしてみると、類似する画像が出てくる出てくる。さらに、2013年に東京都写真美術館で開催された「日本写真の1968」展に関して詳しく紹介しているサイトに行きあたりました。→ http://www.cinra.net/column/japanphoto1968-report.php?page=3
詳細は私なんぞが要約するよりそちらを直接ご覧いただいた方がよほど良いので、是非ご覧いただきたいのですが、1965年頃 東松照明らによって結成された全国の若い学生写真家たちによるこのネットワークが、日本各地で「集団撮影行動」を行っていたこと、「近代開発の矛盾を見つつ、それを単純化せず生身でとらえよう」との思いが学生たちを各地に向かわせたということ、(とくに学生運動を撮った多くの写真について)自分が撮ったと公表する人がほとんどいないこと……等々、確かに合致する点も多いように思えます。
この1年、もてあましていた90枚にのぼる写真の素性がようやく薄ら見えてきました。

ここから先、「誰が撮ったのか」という問題はもちろん残るわけですが、古本屋としてはそこまで問うことをせず、1970年前後、高度成長から取り残されてしまったゆえに、むしろ「戦後」の気配を色濃く残す風景を選び、印象深く表現した、“一定の視点で切り取られたひとつの時代の記録”として販売することにしました。
願わくは、この時代へと巻き戻されませんように、貧しい人が取り残され真っ先に犠牲になるような時代がやってきませんようにと、心の底から願うばかりです。

今年9月9日、朝日新聞の夕刊1面に、「土門拳が伝えた被爆16年の長崎」という記事が掲載されました。土門が長崎で原爆の痕を追った写真を撮影、かつて雑誌などに掲載された一部の写真以外に、別カットを含む400点余りのベタ焼きが見つかった、という記事です。1957年に、長崎で原爆の残した惨禍を撮影し、その悲劇を広く社会に伝えようとした土門は、僅かにその14年前、1943(昭和18)年には、国家総動員の掛け声のもと、愛国と報国を積極的に勧める団体に協力するような作品を撮っていたということは重要だと思います。土門だけではなく、あらゆる表現者が、芸術文化を支える人たちが、みなこぞって戦争を正当化するばかりか美化することに力を貸していたということを、そうした表現しか認められなかったのだということを、日本人はいつの間に忘れてしまったのでしょうか。
2015年、日本には「安保法案に反対するママの会」が生まれました。1943年の日本には、自ら国家に従順に従い、若者たちの戦死 - 実体としてはその多くが餓死もしくは戦病死 - に対して万歳を叫ぶような女性たちが少なからずいたのです。その名を「大日本婦道実践報国会」と云い、昭和18年、同会が発行した『婦人手帳』は、縦10cmほどの小さな本ですが、383Pと云う厚さでもって、「八紘一宇」といった言葉が並ぶ詔勅から、防空、集団礼法、銃後篇、そして日常礼法、服装礼法にといった生活の細部に至るまで、こまごまとした国家による「命令」を網羅しています(とてもじゃないがいまの中国や北朝鮮を嗤えたものじゃぁありません)。
古本屋の役割というのは、どこまでも、執念深く、「忘れさせてやらない」ことにあるのではないかと、最近は、そんなことを痛感しています。

■3点目はただ単にこれは珍しいだろうというのでついつい応札した写真家・秋山庄太郎の『作品集 翳 1940-1943』。こちらも昭和18年の発行、非売品。和紙を使ったシンプルな装丁は秋山自身によるもの。作品37点に自画像1点の写真38点、秋山等3名の巻頭文からなるスマートな作品集です。


今週は他にこまごました紙モノ類ひとつはファッション系-マルティのポショワール1点含む、もうひとつは1960年代頃の海外地図類に、あ、もひとつ欧文組版や筆記体の手跡が美しい海事関係資料・書式 などが明日には店に届きます。

■日本の国債はとうとう中国・韓国の国債に対する評価を下回りました。「デフレ脱却や経済成長をめざした政府の経済政策が、国債の信用力の低下傾向を今後2~3年で好転させる可能性は低い」と見られたためだそうで、アベノミクスに対する評価はとぉっても低いです。ちなみにこのご高評、安倍ソーリが大好きなアメリカの格付け会社によるもの。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150917-00000003-asahi-bus_all
9月17日夕刻間近のあの噴飯ものの強制採決には、前夜からシナリオづくりと打ち合わせに余念がなかったらしい(こちら→朝日新聞)。
もはや我が祖国は民主主義国家にあらず、先進国にあらず。昨年の12月、自民党が選挙で勝利を収めた日から、冗談半分、そんなことも云ってきましたが、ここまであからさまに多数決を悪用され、それによってこともあろうか「憲法」の根本を否定されてしまっては、もはや冗談では済まされません。国会前だけでなく全国各地で国民が「NO」の声を挙げ続けているのに耳を貸そうともせず、雨に打たれながら何とか声を届けようとする市民を黙殺して何の痛みも感じない人たちが、何故国民の代表だなどと云えるのかと不思議でなりません。
残念ながら、日本は立憲国家でも民主主義国家でも、そしておそらくは独立した国家でもなくなりました。2015年9月19日2時18分。「日本」という国家は70年続いた立憲国家、民主主義国家としての歩みに幕を下ろしました。そう云っておかしくない状況だと思います。
「僕は国会審議を見ていて、たった一つの結論に落ち着いた。司法、立法、行政の三権が独立して、民主主義の体制は維持されるのだが、行政つまり内閣が、他の二つを従属させようとしているんだね。それはファシズム(独裁)だ。」保坂正康
http://www.tokyonp.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2015091802000204.html
せめて、ここから直ちに、そして次の選挙まで息長く、こうしたサイトが広く共有されてゆきますように。→ http://democracy.minibird.jp/

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