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Web版特集目録 机上のK.K氏
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目録の終わりに−「机上のK.K氏」の始まりの話
 
目録の終わりに−「机上のK.K氏」の始まりの話
 
  K.K氏、というのは、実在の人物である。
この目録は、そのK.K氏の旧蔵書・旧蔵品に基づくものだが、しかし半ば空想の目録である。

K.K氏について、私の知ることは実に僅かである。
おそらくは昭和一桁、それも後半の生まれ。多分、生まれも育ちも東京。
戦後の大学で学んだ後、大手企業に就職。
会社では、広義の宣伝、あるいはデザインに関わる仕事を手掛ける。
仕事を退かれてからは、美術・デザインの教育の現場に立たれたこともあった。
明るくて楽しくて、お料理が得意な奥様との間に、娘さんが二人。
モダンなご自宅は、K.K氏の設計によるものだ。

K.K氏と、実際にお目にかかったのは二度である。
はじめは店で。2004年の晩秋、長々と西日の射しこむ日暮れ間近のこと。
棚をぐるりと眺めた後、何冊かの本を取り出し確かめるようにすると、
「本の整理をお願いできますか?」
静かに尋ねられたのだった。
その時の印象は、紳士。山登りのようないでたちなのに、
ネクタイを締めているかのような、いずまいの正しさがあった。
二度目はK.K氏のご自宅で。同じ年の、その年最後の月の、初め頃。
処分を決められた本が、丹精な暮らしぶりをうかがわせるリビングに、
すでに清々として積まれていた。
作業をしながら、私が時々「あっ」とか「…これは」と、
つい、呟いてしまうのを聞きつけては、
手にしていたその本を覗き込んで微笑まれ、時に
「ああそれは。まだ少しとっておきましょうか」といって棚に戻されるのだった。
あとはただ、静かに、私の仕事を眺めているのだった。
これだけ粒揃いの蔵書は、私などに買いきれるものではないと思ったから、
ごく一部を買わせていただいて、後は市場で売ることにした。
市場に出すための仕分けは、実際とても楽しかった。関心の領域が似ている、
というだけではない。「好み」としかいいようもないのだが、
K.K氏の蔵書には、これはいらない、と思うようなものは一点もなかった。
K.K氏には、一度、ゆっくりお話をうかがいたいと思っていた。
それも是非とも、だ。
この年も押し詰まった頃、清算書をお送りして連絡した時、
電話の向こうから聞こえてくる声は、いかにもK.K氏らしく坦々としたもので、
果たして喜んでいただけたのかどうか、うかがい知ることはできなかったけれど。

K.K氏と、三度目にお目にかかる機会は、しかし、再びやってくることはなかった。
2005年11月。その知らせは、一通の封書によってもたらされた。
封筒には、「K.K氏を偲ぶ会」とあった。
この年の6月、静養を兼ねての滞在先で、亡くなられたというのだった。
知らせが届いてほとんど日をおくことなく、「偲ぶ会」の発起人の一人で、
お名前を存じ上げながら私はまだ面識もなかったMさんが、店に電話をくださった。
−去年、K.K氏の蔵書を整理した古本屋がどこだったのか奥様が探しておられるんです。
−去年のことは僕も聞いていて、あなただと分かりました。すぐに連絡をとってください。

K.K氏の居なくなったお宅を訪ねたのは、奥様のつけている備忘録によれば、
前年に訪れた日と、たった一日違いのことだった。
棚から本を取り出しては、判型を揃えてしばっていった。古本屋の、いつもの仕事だ。
364日前に、「これはちょっと」と棚に戻された本も、あるいは
「これはまたいつか」と見せてくださった本も。しばる。
書斎に仕舞われていたというポスターの束も、痛まないようにまとめた。
「旅行」とか「映画」とか、几帳面な文字でラベルが貼られ、
中にパンフレットやDMなどが収まるたくさんの箱も、いくつか重ねてはしばっていった。
欧文で識語と署名の入った稲垣足穂の『第三半球物語』と、
同じ足穂の『ヰタ・マキニカリス』的場書房版・限定本は、奥様に託して残してきた。
二人の娘さんが一冊ずつ、持っていてくれたならよいと思った。
この時もまた、とても買いきれるものではなかったから、
そのほとんどを、市場に委ねることにしたのだ。

K.K氏を「偲ぶ会」が催されたのと同じ日・同じ時間、
私はK.K氏の蔵書を出品していた市場にいた。
買い戻そうと思ったものには、とにかく全て、札を入れた。
けれど、買い戻せたものは、ごく僅かなものでしかなかった。
いま思えば痛恨の、不落札品さえ、あったのである。

トラックを頼んで運ぶほどの量になれば普通、
どうにも仕分けしきれぬ半端が、どうしたって出るものだ。
ところがK.K氏の蔵書には、そうしたものが至って少なかった。
いや。ほとんどなかったといってよい。
買わせていただいた一部のものと、市場で買い戻したものは、
自宅において眺める日が続いた。
眺めているうちに、やはりこれは何らかのかたちでまとめてみようと思い始めた。
とくに紙のペラものには、いい加減に売ってはいけないと、
そう思われるものが多かった。
半端なモノを抱えることをしなかったK.K氏が、だからこそ何故、
これらは最後まで、手元に留めおかれたのか?
もしかしたらこれらは、K.K氏が残していった宿題なのではないだろうか?

2年をまたにかけている内に、店や即売会の目録で、すでに売れてしまったものもあった。
『ノイエ・グラフィーク』や、1970年代のアーティスト・ブックなどは
もう取り戻す手立てもなかった。手元に残されているものを骨格にしながら、
ならば私の目で再び肉付けしようと考えた。
そのようにして、市場で買い足したものが、この目録には潜ませてある。
だから例えば「献呈署名」の宛名は、K.K氏であるとは限らない。
K.K氏の経歴やお仕事、人となりなど、奥様なりMさんなりにお話を伺って、
とも思ったが、それはどこか、古本屋の仕事とは筋違いのようにも思えて控えた。
古本屋はいつだって、何かと、不意打ちのようにして出会ってしまうものだ。
そこから自力でどこまで行けるか。それが仕事の、本領なのではないのだろうか。
あくまで、私の想像に基づく肉付けである。
従って、K.K氏の目録でありながら、しかし、この目録はすでに
その実態と離れてしまった部分をもつ。
極々淡い交際から、私の想像したに過ぎない「机上のK.K氏」の、
「机上の蔵書リスト」であると、
思っていただくのが正確なのである。

机上であれ何であれ、私は上手く、K.K氏の背を追えたのだろうか?
K.K氏の見たものたちをその背後にあるものを、
きちんと位置づけることができているのだろうか?
−願わくは。
「これは僕はいらない」と、K.K氏にいわれてしまうようなものが、
ここにはひとつもありませんように。
いまはただ、そう願うことしかできない。

さて。K.K氏の残していかれた宿題は、どうやら一筋縄でいくものではなさそうで、
答えは多分いくつも、用意されているように思えるのである。

ひとつだけ、少し分かったような気のすることがある。

時代を前に進めていくものとは、何か?
K.K氏は、それを見極める名手だったのだと思う。
いま、あなたにはそれが、見えているのか?
あなたがそう思うものは、果たして本物なのか?
いつかそれを振り返ってみるとき、間違いなかったとあなたはいえるのか?
「それを見極める眼をもてあらゆるものをつぶさに見よ」。
K.K氏の残していったものたちが、
そう囁きかけているように、思うのである。
 
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